挙母城(桜城)
ころもじょう(さくらじょう)

■所在地:豊田市元城町 ■立地:平地 ■別称:桜城 ■築城年:1614年、1749年
■築城者:
三宅康貞、内藤政苗 ■遺構等:櫓台石垣、碑、看板

城址碑 桜城二の丸北隅櫓跡

■歴史
 3度にわたり築かれた挙母城の2つ目の城である。1308年に中条氏が築いた衣城(金谷城)が最初である。
1604年に三宅康貞が入城したが荒廃しており、北へ1キロメートルほどの地点に新たに陣屋を築いた。陣屋の内外に桜の木を多く植えたので桜城と呼ばれた。
1749年に内藤政苗が入城し、本格的に近世城郭への修築を始めた。しかし、度重なる矢作川の洪水に工事は進まず、内藤氏二代の学文が1780年に城を童子山(豊田市小坂本町)へ移して築城を始めた。
桜城の工事がどこまで進んでいたかは不明だが、本丸、二の丸までは作られていた記録もある。
●現状(2000年5月)

 豊田市役所の東、NTTの裏の公園に櫓台の石垣が残っている。公園には城の完成縄張図と、現在の豊田市街と城の縄張りを重ね合わせた絵があり、それによると今の市役所付近を本丸としてかなり広大な範囲が含まれている。
もしも、この城が完成していたら、豊田市は名古屋城や福井城、駿府城のように城内に公共施設や役所が建ち並ぶ街になっていたかもしれない。

◆場所