しろやまじょう |
■所在地:豊田市大内町城山 ■立地:山頂 ■別称:大田城 ■築城年:−
■築城者:− ■遺構等:曲輪、堀切、土塁、石塁 |
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城址遠景 |
主郭にある巨石 |
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堀切 |
城の一部に残る石垣 |
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■歴史 |
詳細は不明だが松平氏の戦時の詰城で、松平氏三代・信光が改修して九男・光親に守らせたといわれている。松平氏の本拠が岡崎に移り徳川家康の代になると、武田氏の侵攻に備えて大給城とともに拡張されたと考えられている。 |
●現状(2004年1月) |
王滝渓谷のハイキングコースの拠点で駐車場が整備されている。駐車場にある看板を見ると天守台のようなイラストの城山城址までは非常に近く見える。整備された歩道を南に少し登るとすぐに小山の山頂にたどり着く。知らない人は、間違いなくここが城山城址だと思うだろう。イラストと同じ形のまぎらわしい石垣(展望台か昔の等光寺のものか)もある。
実はここへ登る途中に左の山へ入っていく歩道があるのだが、こちらが正解である。ハイキングコースなんだから看板ぐらい建てておくべきだと思うのだが。こちらは本格的な自然歩道で、いつものように食事の時間も惜しんで城めぐりをしている身には大変きつい。歩道沿いにはこの辺りの特徴である巨石が点在している。
いつの間にか城内へ入っていることになるのだが、注意深く観察していれば、それまで尾根上を歩いていたのが尾根より一段下がったところ、つまり曲輪の周りの切岸の横を歩いているのに気がつく。また、歩道の左側に注意していれば、明確な堀切が見つけられ、それより先が城内であることがわかる。
城内がハイキングコースになっているし、付近の松平城、梟ヶ城、大給城の整備状況からすると、当然、これだけの規模の城なので整備されているだろうと思ったが、歩道以外は全く整備されておらず、遺構の表示どころか城址の表示さえもない(見落としたかもしれないが)。これはもったいない。
城址はU字型をしており、東西に長い主郭がUの底の部分で、その左右から北に向かって曲輪が配置されている。これらの曲輪の間には明瞭な堀切が確認できるが、曲輪は雑木が茂っており動き回れない。右側の曲輪の周囲には石垣がある部分がある。主郭も歩道以外は雑木が茂っているが東側にはそれまであった巨石よりもはるかに大きな巨石があり圧巻である。
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◆場所 |
豊田市豊松町の等光寺の南に広い駐車場がある。松平地区の自然歩道の一部で王滝渓谷のハイキングコースの拠点で、以前、梟ヶ城を訪れたときにはなかった立派な案内看板が建っている。ここから等光寺の北へ続く道を登って行けば梟ヶ城である。東の山を登れば城山城である。 |
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