上野城
うえのじょう

■所在地:豊田市上郷町藪間 ■立地:台地端 ■別称:上野上村城 ■築城年:
■築城者:
戸田宗光 ■遺構等:土塁、碑、看板

上野城址 土塁状の地形
城址の説明看板 榊原康政生誕地の碑

■歴史
  戸田宗光の築城といわれている。宗光は1475年に渥美郡大津(田原町)へ移り田原城を築いた。上野城には次男の家光を残したが、程なく家光も田原へ移った。
 その後、上野城に在った阿部孫次郎は、挙母の中条氏、寺部の鈴木氏、八草の那須氏、伊保の三宅氏と連合して松平親忠と井田野(岡崎市)で戦ったが敗れ、安部氏は親忠に服従した。上野城には戦いで功のあった松平信定に与えられた。
 1545年、城主松平家次は宗家の松平広忠(家康の父)に叛いたために攻められた。一度は撃退したが翌年攻め落とされ、家次は桜井(安城市)に蟄居させられ、代わりに酒井忠尚が城主となった。しかし、1563年の三河一向一揆のときに忠尚は一揆に加担したため、家康に攻められた。1565年に一揆が鎮まると忠尚は駿河へ逃亡し、上野城は落城した。
●現状(2001年10月)

 愛知環状線「三河上郷駅」の南を東西に走る県道239号を東へ500メートルほど進むと歩道沿いに「上野城址」という看板がある。城址は東に児童館、北に護国神社が隣接している。
 城址には城の古絵図の看板があり、推測すると護国神社のあたりが主郭で、城址として残っているのは西南隅櫓の櫓台と土塁のあたりと思われる。
 また、城址には徳川四天王である榊原康政生誕之地の碑が建っているが、康政が生まれたのは上野(上村)城のすぐ南の下村城の方で、上野城の説明看板にもそれらしいことは何も書いてないし、豊田市が発行している「豊田の史跡と文化財」にもそう書いてある。下村城は現在跡形もないので、こちらに建てたのだろうか。

◆場所