作手村役場から国道301号を南に400メートルほど行くと郵便局があり、その少し南に信号交差点がある。信号を左折するとすぐに樹木の茂った丘があり、それが古宮城である。南側の麓に白鳥神社がり、その前の道路の路肩に駐車スペースがある。
白鳥神社の裏に村指定文化財の大ヒノキがあり、そこへの案内看板と道に従って登って行くと、ちょうど主郭南側の虎口の土塁にヒノキがあるので、主郭までは楽に行ける。城内は全体に植林されているが、曲輪部分は間伐など手入れされているので結構明るくて自由に歩き回れるが、写真を撮るのにはかなり邪魔である。
主郭は中央を土塁で仕切られており、北側、東側にも虎口が設けてあるが、これは主郭の北側から東側斜面にある腰曲輪群との連絡用である。主郭南側の虎口は城外から通じる唯一の通路なので内枡形を形成する土塁も高さ3メートルほどあり、幅もかなりあって防御性が高い。
主郭の北側から東側にかけての曲輪群は面積もあり、行き来しやすい配置になっており、居住区域と考えられている。
一方、主郭の西側には城を東西に分断する巨大な堀(幅数メートル、高低差最大5メートル以上)が設けられ、唯一の土橋が連絡路となっている。この土橋の西側にも主郭に次ぐ規模の曲輪があり、西曲輪群の中心をなしている。この曲輪も主郭と同様、中央を土塁で仕切られている。
この主郭の北側から西側にかけては大きな曲輪はなく、土塁と堀が二重、三重に廻らされていて、移動は土塁の上か堀の底を歩くしかない。しかも、上の曲輪とはかなりの高低差があり、外敵が侵入した場合は頭上から狙い撃ちできるようになっている。
今でも城址周囲は水田と湿地に囲まれており、昔は西側を除いては沼地だったという。つまり、城を攻める場合は、どうしても西側から攻めこむしかなく、攻めこんでも頭上からの攻撃にさらされながら土塁や堀を進むことになり、最終的に、主郭へ続く道は土橋一本になってしまうという、相当に計算された縄張りとなっている。武田氏恐るべしである。
唯一残念だったのが、周辺の他の城址はかなり整備されていて、遺構にはそれぞれ表示があり、主郭には説明看板や縄張図が設置されているのだが、ここは全く手付かずである。おそらく、山の所有者との関係で手が付けられないのだと思うが、惜しいことである。
今までに三河方面の多くの城址を訪れたが、城の規模といい、縄張りの素晴らしさといい、ナンバー1といっても過言ではない。山城に興味のある方は、是非一度は訪れてほしい。周囲にも多くの城址があるので、遠方からでも、わざわざ訪れる価値は十分にあると思う。
|