石橋城
いしばしじょう

■所在地:新城市作手清岳 ■立地:段丘上 ■別称:弾正屋敷 ■築城年:
■築城者:
奥平氏 ■遺構等:曲輪、土塁、堀、看板

城址(現:慈昌院)
寺院裏の土塁 周囲に残る堀

■歴史
 奥平氏二代・貞久の次男、弾正久勝が最初の城主で、地名から石橋を称し、三代・貞昌の家臣となった。
 1537年、久勝の子、弾正繁昌は主家に叛き、四代・貞勝の命を受けた土佐貞雄に屋敷を攻められ敗北し、郎党40名余が討ち死にした。遺骸は一箇所に埋められ、今でも西側土塁に石祠が残る。
 後に、徳岩明和尚が弾正繁昌と一族の死を哀れみ、貞勝に願い出て屋敷地をもらい受け、慈昌院を建立した。

●現状(2003年2月)

 新城市の旧作手村役場から国道301号を南へ1.7キロメートルにつくで手作り村という観光施設があり、国道を挟んで慈昌院があり、石橋城址の案内も出ている。
 寺の境内の東から北にかけて土塁がよく残っており、その外側には堀がある。土塁は、かつては四方に巡らされていた。


◆場所