阿久比城
あぐいじょう

■所在地:阿久比町宇卯坂字栗之木谷 ■立地:丘陵端 ■別称:英比城、坂部城 ■築城年:
■築城者:
久松氏 ■遺構等:曲輪、土塁、堀、碑、看板

城址碑 現在は城山公園となっている
主郭南側の土塁 主郭

■歴史
 尾張守護・斯波氏の部下である久松氏が阿古居荘を領したが、築城はいつの代かは不明。
 徳川家康の生母である於大の方(伝通院)は、刈谷城から岡崎の松平広忠に嫁いで竹千代(徳川家康)を産んだが、於大の方の兄で刈谷城主の水野信元は織田氏と手を組むことにしたため、今川配下の広忠と離別させられた。その後、阿久比城主・久松俊勝と再婚した。
 今川義元の尾張侵攻の際、先鋒となった家康は阿久比城に立ち寄り於大の方と再会を果たしたとも伝えられている。

●現状(2004年2月)

 阿久比町立図書館の東に隣接する公園が主郭部分である。城址の碑の他にもたくさんの碑が建っており、松平氏の子孫が家康の生母・於大の方を顕彰して建てたようなものもある。主郭の周囲は土塁が一部残っていて、その外側は切り立った地形になっている。図書館との間に堀があるが、図書館建設の際にかなり姿を変えているらしい。
 訪れた時は1人の女子高生がベンチで読書をしており、写真ばかり撮ってる私には無関心を装っていたが、きっと訳のわからない人だと思われたに違いない。公園を出るときに振り返ると、何の写真を撮ってたんだろうという感じで城址碑を見つめていた。


◆場所