勝幡城
しょばたじょう

■所在地:稲沢市平和町城之内 ■立地:平地 ■別称: ■築城年:1504年頃
■築城者:
織田信定 ■遺構等:碑、看板

勝幡城址碑 城址周辺に点在する水田は堀の名残か

■歴史
 織田信長の祖父・信定が1504年ごろに築いたといわれている。信定の子・信秀は1534年頃に今川氏豊の那古野城を攻略して移り、やがて、清須城(清洲町)が拠点になるにつれて勝幡城は廃城となった。
 信長の生誕は1534年だが、信秀が那古野城を攻略して移ったのは実際はもっと後という説もあり、信長はこの勝幡城で生まれてから那古野城へ移ったという説が今では有力である。

●現状(2002年10月)

 名鉄津島線の勝幡駅から北西へ750メートルほどに城址はある。ちょうど、日光川と三宅川が交わるあたりで、日光川にかかる嫁振橋の東の民家の前に看板と碑が建っている。遺構らしきものは残っていないが、宅地の間にある田んぼは堀の名残なのかなとも思える(位置的に正しいかわかりませんが)。
 日光川は、城を縦断するように開削されており、当時の地形などを想像することはできなかった。


◆場所