黒田城
くろだじょう

■所在地:一宮市木曽川町黒田字古城 ■立地:平地 ■別称: ■築城年:
■築城者:
■遺構等:

黒田小学校の一角にある城址碑 模擬冠木門
山内一豊の像 堀の役目を果たしていた野府川

■歴史
 15世紀末頃に後藤光秋がこの地に屋敷を構え、後に山内盛豊が屋敷跡に城を築いたとされる。盛豊の子が山内一豊である。
 盛豊は岩倉の織田氏に仕え、信長との尾張覇権争いの中で討ち死にした。
 その後、和田定利、沢井雄重、一柳直盛が城主となるが、関ヶ原の合戦後、直盛が伊勢神戸城へ移封されると廃城となった。

●現状(2006年8月)

 一宮市立黒田小学校の敷地が城内に収まるような広大な城であるが、現在は敷地のほとんどが小学校となり遺構は何もないと思われる。学校の北を流れる野府川は城の北面の堀である。
 学校の北東隅に小さな公園のようなものがあり、模擬冠木門をくぐると、黒御影石に彫られた城主・沢井雄重没後400年の記念碑(黒田城天守想像図付き)と、黒田城址の碑、山内一豊像などがある。
 黒田城は岩倉市の岩倉城とともに山内一豊生誕地とされており、ここもNHK大河ドラマ「功名が辻」ゆかりの地としてのぼり旗が立っている。小学校の校舎にも「NHK大河ドラマ功名が辻 山内一豊公の生誕地」という大きな垂れ幕があった。岩倉城へは行ったことがないが、PR度はこちらの方が上なのではないかと思われる。
 学校の東にある法華寺には一豊の父盛豊と兄十郎の墓があり、山内一豊生誕地の碑もあるが、目の前を通過した後に思い出し、今回はあきらめた。
 学校の西に名鉄、東にJRの線路があり、絶え間なくどちらかに電車が通るので、電車好きの息子も大満足の城址であった。


◆場所
 城址碑