下津城
おりづじょう

■所在地:稲沢市下津町 ■立地:段丘上 ■別称: ■築城年:
■築城者:
■遺構等:曲輪

土塁か土居の一部に建つ碑石 城址碑

■歴史
 尾張守護代、織田敏広の居城とされている。室町幕府の尾張守護斯波義重は下津城を守護所としていたが、別城として清須城を築き、敏広の弟・敏定を城主とした。やがて敏定の勢力が強くなり、1476年に敏広を追放して下津城は焼かれた。
 その後、守護所は清須城に移り、清須が尾張の中心として栄えた。
 やがて、斯波氏に代わり守護代であった織田氏が勢力を伸ばし、「下の織田」として尾張の下四郡を支配した。

●現状(2002年10月)
 東名高速道路の一宮インターの真南1.5キロに下津小学校があり、そのすぐ西側の道路沿いに石碑が建っている。実際の城の範囲はわからないが、守護所であったというからには、広い範囲に屋敷群として構えられていたのではないかと思う。
 石碑は、土塁の跡のような土盛りの上にあるが、本で見た写真では、さらに土盛りは高かった。写真で見た土盛りを探していたので、何度も前を通りながら気づかなかった。

◆場所