羽黒城
はぐろじょう

■所在地:犬山市羽黒城屋敷・羽黒摺墨 ■立地:平地 ■別称:梶原館 ■築城年:
■築城者:
梶原景親 ■遺構等:土塁、堀、碑、看板

城址外観 城址碑
堀跡 興禅寺の梶原景時公の碑

■歴史
 源頼朝の建てた鎌倉幕府の功臣である梶原景時は、頼朝の死後鎌倉を追われる身となり静岡で討たれたが、孫の豊丸(景親)は乳母のお隅の方の故郷である羽黒の地に落ち延びた。やがて景親はこの地に館を築いて代々居住した。
 小牧長久手の戦の時、秀吉は廃城となっている当城を修復して砦とした。
●現状(2005年10月)

 名鉄小牧線の羽黒駅の前の羽黒交差点を西に200メートルほど進み、北へ入るとすぐに興禅寺という立派な寺がある。興禅寺の東にある林が城址である。城址の南側の民家と民家の間に城址へ行ける細い通路がある。
 興禅寺は梶原氏の菩提寺であり「開基 梶原景時公」の碑がある。梶原景時といえば、2005年のNHK大河ドラマ「義経」の主要登場人物なので、どんな人物なのか知っている方も多いと思う。いちいち義経の行動に反発する頭の固い嫌な役であるが、当時の常識でいえば景時が正しく、義経は型破りで無茶なだけである。
 以前(1998年12月)に訪れたときは、予備知識として興禅寺が城址というのが頭にあったので、寺の裏にある土塁を見て満足してしまったが、後で東に隣接する竹やぶが城址で、そちらに堀や土盛りなどが残っていて石碑もあると知って悔しい思いをした。そこで、子供と犬山の日本モンキーパークへ行った帰りに再度訪れてみた。
 興禅寺のすぐ東にある林の周りを入り口探して歩いたがなかなか見つからなかった。興禅寺横から時計回りにほぼ一周したところで、民家と民家の間の小道を見つけた。逆方向に周っていればすぐである。城址を案内するものは何もない。そこから林へ向かうと中に道が続いており、入るとすぐに城址碑が立っていた。城址の説明看板もあったが、看板の脚は既になく、看板部分のみが地面に置かれていた。そのすぐ北側は広くて深い堀状になっていた。それ以上奥へは行けないので引き返した。興禅寺の裏の土塁は羽黒城周囲の館跡なのか単なる土塁状の地形なのかはわからない。

◆場所

南の民家の間の小道から城址碑へ行ける。