犬山城
いぬやまじょう

■所在地:犬山市犬山字北古券 ■立地:丘陵上 ■別称:白帝城 ■築城年:1537年
■築城者:
織田信康 ■遺構等:天守閣、堀、石垣

国宝の現存天守閣 三の丸
桐の丸 大手通
復興鉄門 現存天守閣
天守閣内部 天守最上階から見た本丸
城址西の丸の内緑地から見た天守 木曽川越しに見る犬山城

■歴史
 1537年に織田信康が築城したが、その後継ぎの信清は織田信長に城を追われ、信長家臣池田恒興が城主となった。その後めまぐるしく城主が入れ替わった。
 1595年に石川貞清が城主となり城の修築を行い、現状に近い形になった。関ヶ原の合戦で石川貞清は西軍に与したので所領をうしなった。
 1615年に尾張徳川家付家老の成瀬正成が城主になると、以後は世襲して明治にいたった。その後廃城となり天守閣以外の大半の建物は取り壊しとなった。その後の濃尾地震の被害を受けて天守閣も取り壊されるところであったが、成瀬氏が城の修理と保存を条件に譲り受けた。犬山城は現在でも唯一の個人所有の城である。

●現状(2006年3月)

 城址は国宝の天守閣を除き見るべき遺構は石垣ぐらいしかない。大手口沿いの曲輪には神社が建ち並び、櫓や門などもすべて模擬建造物であり、城址全体の雰囲気を壊しているのが残念である。
 天守閣は、かつては日本最古と言われていたが、解体修理によって3・4階部分は1595年の修築で、3階部分の唐破風は成瀬正成の時代に加えられたことがわかった。内部はもちろん木造で、多くの観光客が訪れるので床や手すりは磨り減ってツルツルである。かなり狭いがコンクリートの城にはない迫力がある。天守閣最上階からの眺めも県下随一といっても過言ではない。
 木曽川越しの犬山城も素晴らしい景観であり、駐車場も用意されている。犬山城は白帝城と呼ばれてるが、これは江戸時代の学者荻生徂来が、中国揚子江の切り立った川岸に立つ白帝城になぞらえて命名したといわれている。


◆場所