小牧山城
こまきやまじょう

■所在地:小牧市堀之内1丁目 ■立地:独立丘 ■別称: ■築城年:1563年頃
■築城者:
織田信長 ■遺構等:曲輪、土塁、石垣、堀、碑、模擬天守

小牧山城址(アピタの屋上駐車場が絶好の撮影ポイント) 小牧城址遠景
城址東側の枡形虎口 城山の東側山麓の曲輪群(武家屋敷)
復元された堀と土塁 南側山麓の堀
市役所西の大手通 城内随所に残る曲輪
主郭北西の石垣 模擬天守(資料館)

■歴史
 1560年に今川義元を破った織田信長は、美濃の斉藤氏を攻略する足がかりとして小牧山に城を築き、清須から本拠を移した。そして1567年には美濃の稲葉山城を攻略し、その地を岐阜と改めて本拠を移したために小牧山城は廃城となった。この間わずかな期間だが城下町が整備された。
 1584年に豊臣秀吉と織田信雄・徳川家康が争う小牧・長久手の合戦が起こると、家康は秀吉方の犬山城に備えて小牧山を抑え、織田・徳川連合軍の本拠地とした。この時、山麓に大規模な堀や土塁が築かれた。しかし、小牧は主な戦場にはならず、合戦終了後は再び廃城となった。
 その後も小牧山は神君家康公ゆかりの地ということで尾張藩が入山を禁じるなどして保護したため、現在まで遺構が良く残っている。昭和2年に小牧町に管理委託され、昭和6年に徳川家から寄贈された。
 昭和43年には、名古屋の実業家・平松茂氏が私財で築いた模擬天守が寄贈された。

●現状(200年月)

 つい先日、息子と2人で江南市のアメージングワールドに行ったところ、先日は行かないと言っていた娘も行きたいと言い出し、行ったばかりでまた江南まで行きたくなかったが、娘があまりにもうるさいので仕方なく行くことに。この日は天気も良かったので下の娘もいっしょに家族5人で出かけた。天気が良かったので、ちょっとわがまま言って小牧山城へ寄らしてもらった。小牧山は名神高速道路の小牧インターのすぐ南で、どこからでも目に入る。近くのアピタで昼食を調達し、家族らが食事中に一人で城内を走り回った。
 小牧市役所のすぐ西に城の大手通りがあり、山頂への最短距離である。市役所の東には以前は中学校があったが、移転して発掘調査が行われ、武家屋敷跡や小牧・長久手の合戦時に築かれた堀と土塁が復元されている。この辺りは公園になっていて、暖かい日なので家族連れで賑わっていた。この公園の東側の入り口は枡形虎口である。
 城内は、麓近くの曲輪は公園になっており、桜の木も多くあって桜まつりの準備中であった。山頂へ行くまでも段状に曲輪が連なっているが、特に表示などはない。山頂の主郭には模擬天守があり歴史館となっている。入館料はわずか100円だが内部の展示は小牧・長久手の合戦や小牧山城の発掘状況など興味深い。最上階は展望室となっており四方の眺めは実に素晴らしい。家族を置いて一人で来たのが惜しまれた。天気が良かったので西には伊吹山が良く見え、山を見るのが好きな息子がいたら大喜びであっただろう。主郭の北側には信長時代のものといわれる石垣が残っている。
 家族を待たせてあるので隅々まで見ることはしなかったが、城内は小牧市の中心部とは思えない静けさと自然環境が残っており、歩いていて大変気持ち良い。遊歩道沿いにも曲輪らしき平坦部や井戸跡のような窪地があり、南から西側にかけての山麓も堀や土塁で囲まれていた。


◆場所