前野屋敷
まえのやしき

■所在地:江南市前野町西 ■立地:平地 ■別称: ■築城年:
■築城者:
前野氏 ■遺構等:碑、説明板、屋敷地

前野屋敷

■歴史
 前野氏はこの地の有力者で、生駒氏や蜂須賀氏らとも姻戚関係にあった。戦国武将としては織田信長・豊臣秀吉に仕えた長康が活躍をしている。特に秀吉には蜂須賀小六とともに墨俣築城の頃から仕え、秀吉の天下統一には大きく貢献した。兄の宗吉も信長に仕えており、信長の子・信雄の雄の一字を拝命して雄吉と名乗った。2人は豊臣秀次とも関係が深く、秀次の謀反事件に連座して長康は切腹した。また、弟の勝長は佐々成政に仕えた。
 いずれも主君に恵まれずに歴史の表舞台から姿を消して、以後はこの地で帰農して百姓となり、武名をあげた前野の姓を使うのをはばかって先祖ゆかりの吉田に姓を変えて現在まで続いている。

●現状(2006年3月)

 江南市前野町西の県道179号沿いにある吉田造園が前野氏から続く吉田氏の屋敷である。立派な門や蔵などがある。門の前には「前野家屋敷跡」の看板がある。前野家は豊臣秀次や佐々成政などと関わりがなかったら大名になっていたかもしれないが、残念ながら歴史の表舞台からは姿を消してしまった。この前野家が再び脚光を浴びたのは、昭和34年の伊勢湾台風で被害を受けた土蔵を整理しているときに「武功夜話」などの文書が発見されたからである。武功夜話は今でも信憑性については議論があるが、それまでとは異なる信長や秀吉、蜂須賀小六らの出会いなどの記録があり注目を集めた。


◆場所