河和城
こうわじょう

■所在地:美和町大字河和 ■立地:独立丘上 ■別称: ■築城年:
■築城者:
戸田宗光 ■遺構等:曲輪、堀、土塁

通行止めだった登城口

■歴史
 長禄年間(1457〜1460年)頃に田原の戸田宗光が築いたといわれている。その後、憲光、繁光、守光と続き、守光は1590年に小田原攻めの際に討ち死にした。この知らせが河和に届くと領内は乱れ城は破壊されたという。守光の子・光康は徳川家康に仕え、姓を母方の水野に改めた。その後も水野氏は尾張徳川家に仕えて河和を領した。

●現状(2004年2月)

 美浜町役場の南、知多厚生病院のすぐ東にある単独の丘が城址である。城址の東側に登城路が整備されているが、未完成なのか、近くの崩落が進んで危険なためなのか、立ち入り禁止となっていた。内部は畑になっているというので他の進入口を探したが見当らず、時間もなかったので早々にあきらめた。
 河和城は知多半島の城址で最も遺構がよく残る城址の一つなだけに、中へ行けなかったのが残念である。
 内部は、わりと規模の大きい土塁や堀が残っていて、広い主郭とその西側にいくつかの曲輪が配置されている。


◆場所