内海砲台
うつみほうだい

■所在地:南知多町大字内海字山尾 ■立地:丘陵上 ■別称: ■築城年:1854年
■築城者:
■遺構等:土塁

砲台跡

■歴史
 1854年に尾張藩が海上防備のために築いた。大砲は西洋砲術に詳しい上田仲敏の指導により尾張藩御用鍛治の水野太郎左衛門が鋳造した。

●現状(2004年2月)

 国道247号沿いの内海の温泉街の南端あたりに熊野神社がある。そのすぐ北側の道を山の方へ向かうと一色荘という旅館があり、さらに山の方へ向かって数百メートルのあたりで、右側に切り通しがある場所がある。その切り通しの東側の絶壁の上が砲台跡である。
 絶壁は当然登れないし、高低差の小さい道路側(一応、こちら側に本来の登り口があって、スロープ状になっている)もひどいヤブで、しかもイバラが生えていてとても入りこめない。そこで、危険であったが絶壁の一番道路に近い低い所から、木につかまりながらなんとか登った。しかし登ってみると一面に胸ぐらいの高さの笹が茂り、砲台を置いた穴などがあるというのに地面の様子がわからないため、一歩も踏み入れることができなかった。
 砲台跡には弾薬庫のあった穴と土塁、砲座の跡が残っているという。また、砲台西側の切り通しも、海岸と砲台の連絡通路として通されたものである。
 県内では貴重な砲台跡だというのに、全く荒れ放題で近づくこともできないとはもったいないので、整備してもらえるとありがたい。


◆場所