蜂須賀城
はちすかじょう

■所在地:美和町蜂須賀 ■立地:平地 ■別称: ■築城年:
■築城者:
■遺構等:

蜂須賀小六正勝公顕彰碑(左)と城址碑(右)
蜂須賀小六正勝公旧宅跡の碑 県の城館調査報告書による城のあたり

■歴史
 豊臣秀吉の出世を支えた蜂須賀小六こと蜂須賀正勝は1526年にこの地で生まれた。この頃の尾張は、各織田家が争っている時期で、小六は戦になると一党を引き連れて傭兵のようなことをしていたが、やがて美濃(岐阜)の斉藤氏が勢力を伸ばすと斉藤氏についた。やがて織田信長が尾張を統一すると信長に仕えた。そして秀吉が信長の下で頭角を表し、墨俣城(岐阜県)の築城を命じられると小六は秀吉を手伝い、以後、秀吉の配下となり死ぬまで側に仕えて秀吉の天下取りに尽力した。
 秀吉の天下取りの功労者としては他に竹中半兵衛、黒田官兵衛が知られるが、蜂須賀小六こそが最大の功労者といっても過言ではないだろう。
 蜂須賀小六といえば、子供向けの豊臣秀吉の伝記やマンガでは秀吉を拾った盗賊とか野武士の親分として登場するが、実際はちゃんと土地を持って先祖代々この地に住んでいる土豪である。しかし、実際に弟は盗賊みたいなことをやってたらしいし、部下も柄の悪い者が多かったようだ。秀吉との出会いも、秀吉があっちこっち奉公へ行っている時に知り合ったらしく、蜂須賀邸で居候していたこともあった。もしかすると、秀吉がいたのは小六が宮後城(江南市)へ移った後かもしれないが、司馬遼太郎さんの新史太閤記では、こちらの蜂須賀村の方である。

●現状(2002年10月)

 名鉄津島線の青塚駅の北約700メートルに蓮華寺がある。蜂須賀家は蓮華寺に所領を寄進して代々これを保護し、小六の子・家政が阿波に移封された後も菩提寺として保護した。その蓮華寺には小六・家政合葬墓碑があり、寺の山門の前に「蜂須賀小六正勝公顕彰碑」と「蜂須賀城址」の碑が建っている。顕彰碑の裏には小六の出世話や功績が刻まれている。
 蓮華寺の南200メートルほどのところに円竜院というお寺があり、そこには「蜂須賀小六正勝公旧宅跡」という碑が建っている。
 愛知県の中世城館調査報告書によると明治頃の地籍図から割り出した蜂須賀城の位置は蓮華寺の東300メートルほどの位置にあり、八幡社のすぐ東の田畑のあたりである。


◆場所
 碑1 碑2