守山城
もりやまじょう

■所在地:名古屋市守山区守山字市場 ■立地:丘陵上 ■別称: ■築城年:
■築城者:
■遺構等:堀、土塁、碑

城址碑 上を見ながら歩かないと見逃す看板
宝勝寺 宝勝寺裏の堀

■歴史
 築城の経緯については定かでない。
三河の大半を手中におさめた松平清康(徳川家康の祖父)は古渡城の織田信秀を討つために、守山城主織田信光に通じて守山城へ入った。
 清康の家臣安部定吉には、かねてから清康への逆心ありと噂されていたが、折り悪く、城内の馬が逃げて人々が騒ぎ立ったのを定吉の子弥七郎は父が成敗されると誤解をし、清康を斬り殺してしまった。清康はこの時25歳だった。弥七郎はその場で斬られたが、主将を失った松平勢は岡崎へ帰り、以後松平氏は急速に衰え、家康の人質生活など苦難の道をたどることになった。この事件は「守山崩れ」と呼ばれている。

●現状(1999年1月)

 名鉄瀬戸線の矢田駅から矢田川をはさんで反対側にある宝勝寺一帯が城址である。
宝勝寺の墓地に土塁らしきものが残り、墓地の裏から寺の裏一帯の竹薮の中に堀が残る。堀には当時橋がかかり、清康はそのあたりで殺されたという。
 宝勝寺の東側の道路を歩いていくとアパートがあり、そこに城の説明看板がある。看板は高さ2mほどのところにあり、上を向いて歩かないと見過ごす。その看板横のアパートの裏の土手を登ると(案内は何もないが、人が登った形跡がある)石碑がある。

 上の写真は同じカメラで撮影したにも関わらず、ずいぶんと色あいが違うが、最近のデジカメは仕上がりにバラツキが少ないので大したものだなあと思う。


◆場所