大高城
おおだかじょう

■所在地:名古屋市緑区大高町城山 ■立地:丘陵上 ■別称: ■築城年:
■築城者:
■遺構等:曲輪、堀、碑

主郭付近 城址碑
主郭南の土橋 唯一残る堀

■歴史
 1504年〜1521年の間、花井備中守が居城し、1532年〜1558年の間は水野忠氏父子が居城した。水野氏は初め今川氏についていたが、後に織田氏についた。
 1559年に鳴海城主山口教継が上洛を目指す今川義元に寝返り、大高城と沓掛城を攻略した。そのため、信長は大高城の北東に鷲津砦、東に丸根砦を築き大高城を孤立させた。大高城を重視する義元は松平元康(徳川家康)に大高城への兵糧輸送を命じ、元康は鷲津・丸根砦の目をかすめ見事に大高城に兵糧を運び入れた。これが有名な「大高の兵糧入れ」である。元康はそのまま丸根砦を攻め落とし、手柄を喜んだ義元は元康を大高城の城主にした。しかし桶狭間で義元が討たれると、元康は岡崎城へ引揚げ城は廃城となった。その後、1616年に尾張藩家老の志水忠宗が城址に館を設けて明治まで続いた。
 昭和13年に鷲津・丸根の両砦とともに国指定の史跡となった。

●現状(2000年5月)

 国道23号線の大高ICとJR東海道本線大高駅の中間に位置している。城址は公園となっているが、碑石と説明看板が一つあるのみで他に遺構の表示や縄張り図などの看板もなく、国指定の史跡というわりにはさびしい。本丸も、中心の広い場所なのかその中の少し高くなっている場所なのかよくわからない。広い曲輪もいくつか残っているが、どういった場所なのかわからない。唯一、大きな堀が残っているが、かつては二重の堀に囲まれていたらしい。
 全体的には平山城の形状を残しているが、有名なわりには史跡としては整備されていない感じがする。
一番困ったのが、城址周辺は古い住宅街であるために自動車一台がやっと通れる道ばかりで、何度も行ったり来たりして、地元の方に迷惑かけたかもしれない。大高小学校のあたりに路駐できる余裕があるので、学校を目指したら良いと思う。ただし、大高城の目立った案内看板はなさそうである(小さいのはある)。


◆場所