末森城
すえもりじょう

■所在地:名古屋市千種区城山町2 ■立地:丘陵端 ■別称:末盛城 ■築城年:1548年
■築城者:
織田信秀 ■遺構等:曲輪、堀、碑

城山八幡宮 主郭
末森城址碑 主郭周囲の空堀

■歴史
 織田信長の父信秀が三河に備えて末森城を築き、古渡城(名古屋市中区橘)から移った。信秀は翌年この城で病死し、信長の弟信行が城主となった。信行はうつけ者と評判の兄に代わって家督を継ぐべく画策したが失敗し、1557年に清洲城(清洲町)で謀殺された。
 末森城は翌年廃城となった。

●現状(2000年10月)

 名古屋市千種区の愛知学院大学西の城山八幡宮が城址本丸跡である。八幡宮一帯はうっそうとした森となっており、八幡宮参拝者よりも自然観察を楽しむ年配の方が多く目に付いた。
 かつては二重の堀に囲まれていたが消失しており、本丸、二の丸、内堀が残るのみだが、市街地の城址としては規模が大きく状態も良い方だと思う。
 特に本丸周囲の内堀が状態良く残っており、幅10m程度、深さ数mという規模の大きなものである。正面から境内に入ってすぐ右に末森城址の石碑がある。


◆場所