岩崎城
いわさきじょう

■所在地:日進市岩崎町市場 ■立地:丘陵上 ■別称: ■築城年:1538年
■築城者:
丹羽氏清 ■遺構等:曲輪、堀、土塁、模擬天守

模擬天守(資料館) 城址南側から見た模擬天守
本丸北側の空堀 土橋

■歴史
 この地の土豪丹羽氏清が築いた。氏清の子氏識とその子氏勝は織田信長に従い、信長死後は徳川家康に従った。
小牧・長久手の合戦の際は氏勝の子氏次が小牧山の家康本陣に駆けつけ、弟の氏重が城を守った。秀吉配下の池田恒興が岡崎を奇襲するために岩崎城下を通過した時、氏重は300人程度の兵で抵抗し全滅した。しかし、これが時間稼ぎとなって徳川軍に追いつかれ長久手の地で激戦となった。ここでは徳川軍が勝利し、池田恒興も討ち死にした。

●現状(2004年7月)

 城址には天守風の資料館が建てられており、付近を通ればすぐに目に付く。城址の入り口には大きなイラスト看板があり、城址の様子がよくわかる。
 遺構は堀や土塁が比較的良く残っているが、模擬天守の他にも本丸御殿風の歴史資料館もあり、また、馬出し部分が二の丸庭園にされているなど、模擬復興ブームのあおりを受けている。しかも、各遺構については発掘調査に基づいた細かな解説看板があるだけに、その後の整備のし方が残念である。せめてもの救いは、模擬天守が本来の天守跡と位置をずらして建てられたことか。
 模擬天守の最上階は見晴らしが良く、夏でも気持ちの良い風が吹いている。


◆場所