堀尾屋敷
ほりおやしき

■所在地:大口町堀尾跡1丁目 ■立地:平地 ■別称:御供所城 ■築城年:
■築城者:
堀尾氏 ■遺構等:碑、説明板

城址の北にある堀尾跡公園 八剱社
八剱社に建つ堀尾吉晴邸址の碑 八剱社に建つ堀尾金助とその母の像

■歴史
 堀尾氏は鎌倉時代の終わり頃にこの御供所の地に移った。1383年には八剱社を建立している。
 堀尾氏で有名なのは堀尾吉晴と堀尾金助である。吉晴は1543年にこの地で生まれた。若い頃から秀吉の配下で織田信長に仕え、秀吉の天下統一にも大いに貢献した。秀吉の死後は徳川家康に仕え、松江城主となって現在の松江市の基礎を造った。
 堀尾金助は、父が病気のため、叔父の吉晴に従って秀吉の小田原征伐に18歳の若さで加わった。金助の母は熱田神宮付近にあった東海道の裁断橋まで見送った。金助は山中城攻めで初陣を飾ったが陣中で病没した。母は息子の晴れ姿が忘れられず、子の供養にと、最後に息子を見送った裁断橋を私財を投げ打って改修した。橋の擬宝珠に刻んだ銘文は、日本女性の三大名文の一つとされている。

●現状(2006年3月)

 大口町の堀尾跡公園の南側にある八剱社が屋敷のあったところとされている。境内の南東の角には『堀尾吉晴邸址』の碑が建っており、その前に説明看板と堀尾金助母子の銅像がある。この日は何かの整備工事をしていて、碑の近くに行けなかった。看板も抜かれて碑にもたれかけている状態であった。
 神社のすぐ北に五条川が流れ、ここも川の両岸は桜並木で桜まつりの準備が行われていた。川には裁断橋が復元されている。川の北側は堀尾跡公園となっている。公園には松江市から贈られた木々が植えられており、四季桜が満開であった。


◆場所