じょう |
■所在地:香川県丸亀市一番丁 ■立地:平山城 ■別称:亀山城、蓬菜城 ■築城年:1597年
■築城者:生駒親正 ■遺構等:天守、門、石垣、堀 |
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大手桝形の高麗門と渡櫓門(ともに現存) |
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大手桝形の内側 |
御殿表門(現存) |
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三の丸の高石垣 |
二の丸の井戸。深さ65mで日本一深いといわれる |
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右端の資料館がかつての御殿跡 |
見事な石垣 |
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本丸から見た天守 |
本丸下から見た天守 |
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三段に積み上げられた高石垣は素晴らしい |
下から見上げた天守 |
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■歴史 |
室町時代初期、管領・細川頼之の重臣の奈良元安が亀山に砦を築いたのが始まりとされるが詳細不明。
1588年、豊臣秀吉配下の生駒親正が讃岐6万石を与えられ高松城を築いた。1597年には隠居城として亀山での築城を始めた。
1600年の関ヶ原の合戦では親正は豊臣方の西軍につき、子・一正は徳川方の東軍についた。西軍が敗れたために親正は高野山へ蟄居となり、一正が讃岐17万石を領有し、丸亀城は1602年に完成した。
1640年にお家騒動のために生駒氏は出羽国矢島1万石に移封となり、1641年に山崎家治が肥後国富岡城より5万石で入封した。家治は城の改修に着手したが、3代で世継ぎがなく断絶し改易となった。
代わって播磨国龍野城から京極高和が6万石で入封し、以後、明治時代まで京極氏の居城となった。
1660年には天守が完成し、1673年にようやく城の改修が終わり、現在の姿となった。 |
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●現状(2011年8月) |
現存12天守の一つなので、四国旅行のときにどうしても行きたくてコースに入れました。
城のある亀山は市街のなかに単独であるのでとても目立ちます。遠くからでも石垣に覆われているのがわかり、見応えがあります。駐車場に着くと、目の前にそびえる三段60mの高石垣に圧倒されます。これほどインパクトのある城址はそれほど多くはないでしょう。通常、平山城といっても山を全部石垣で覆ってしまっている城はありません。この迫力は写真ではとうてい伝え切れません。冬であれば木々の葉も落ち、もっと石垣が良く見えるかもしれません。
本丸からの眺めも素晴らしく、暑くて城へ行くのを嫌がっていた子ども達もハトのエサやりで楽しんでました。
ニの丸の石垣が一部崩れていて立ち入り禁止箇所もありましたが、この石垣を見ることができただけでも十分です。
天守の他にも、大手桝形門と御殿表門と番所、長屋が残っています。
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◆場所 |

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