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| ■歴史 | ||||||||||||||||||
| 元は16世紀中頃に細野藤光が築いた安濃津城で、1568年の織田信長の伊勢侵攻後、織田信包が城を整備した。 1594年に信包が秀吉によって丹波へ移封されると、富田知信が5万石で入城。知信の子・信高が1600年の関ヶ原の戦いに東軍で参戦すると西軍に攻められ開城したが、信高は奮戦が認められて2万石の加増を受けて再び城主となった。 1608年に信高が宇和島城へ移ると、今治城の藤堂高虎が入城し、城の大改修に着手して現在の姿になった。高虎は平時は津城、有事は伊賀上野城を本拠とすることとした。以後、明治まで藤堂家が治めた。 明治に入り櫓などの建物は取り壊され、堀のほとんどは埋め立てられた。 |
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| ●現状(2022年8月) | ||||||||||||||||||
| 城址は津の中心市街地にあり、津市役所に隣接しています。広大な堀はほとんど埋め立てられ、内堀の一部が残るのみですが、やはり水堀が残っている城址というのは特別な感じがします。本丸と西の丸の石垣は、ほぼ残っていると思われます。 城内は公園になっていますが、結構、草木が茂っており、内側からは天守台や多聞櫓の石垣が良く見えないのが残念です。 津城のシンボルである三重櫓も、外からは電線、内からは樹木で見栄えがよくないのが惜しいです。もっとも、この櫓も模擬櫓であり、位置も形も本来とは異なります。櫓が建っているのは東鉄門の石垣の上です。古写真を見ると津城の櫓は破風のないシンプルな三重櫓で、こちらの方が藤堂高虎の城らしさがあると思います。 城の遺構ではないですが、藩校有造館の門が移築されています。 他の城址でもそうですが、どうやらポケストップだったらしく、スマホを眺めながら黙々と歩くグループに園路を塞がれたり、写真を撮っているとぶつかってこられたりと、勘弁してほしい状況でした。 |
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| ◆場所 | ||||||||||||||||||
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