松本城
まつもとじょう

■所在地:長野県松本市丸の内  ■立地:平地 ■別称:深志城 ■築城年:1504年頃、1585年頃
■築城者:
小笠原氏 ■遺構等:天守、櫓、石垣、堀

天守群(左から乾小天守、天守、辰巳附櫓、月見櫓)と広大な内堀
乾小天守、天守 天守、辰巳附櫓、月見櫓
月見櫓 本丸御殿跡と天守
乾小天守の鯱 黒門
太鼓門 二の丸御殿跡
本丸と二の丸の間の堀 二の丸東側の外堀
■歴史
 松本城の前身はこの地にあったといわれる深志城で、この地を支配していた小笠原氏配下の島立貞永が1504年頃に築いたといわれている。今の松本城本丸の形状が南から西面にかけて複雑な形状であるのに対し、北から東面が単純な直線であるのは、かつての深志城の居館の名残だといわれている。
 1550年に武田信玄は深志城を奪い、信濃における軍事拠点とした。
 1582年に武田氏が滅ぶと小笠原貞慶が入り、松本城と改名した。そして城の大改修を行い近世城郭としての松本城の基となった。
 1590年に徳川家康の家臣であった小笠原氏が家康の関東移封に従って城を出ると、豊臣秀吉の配下で家康の旧臣であった石川数正が城主となり、城の改修を行った。数正はすぐに病没したが、子の康長が改修を続け、石垣や天守を築いた。石川氏が築いた天守は現在の乾小天守であり、5層の天守は石川氏の後に城主となった小笠原秀政の頃という説もある。
 1633年に家康の孫である松平直政が城主となり、辰巳附櫓と月見櫓が築かれ、現在の姿となった。

●現状(2008年11月)

 11月の3連休、最初の2日はマーチングの練習と大会で費やしてしまい、疲れもピークに達した3日目に、ふと思い立って松本城へ行くことになりました。
 前々からずっと行きたいと思ってました。だって、国宝天守であと松本城だけが未踏破でしたから。できれば、雪の積もった北アルプスを背景にしたおなじみの写真を狙って4月頃に行きたかったのですが、仕事も忙しくてチャンスを逃がしていました。でも、思い立ったら次の春まで待てません。家族を連れて3時間のドライブです。天気はあいにくの曇り空でしたが、初めて見る松本城は他の近世城郭にはない威厳と渋さと古さがあり、姫路城を見て以来の感激でした。
 ちょうど松本城ではお祭りが開かれており、もの凄い人でした。車で松本市の中心に向かうのも大渋滞、駐車場を探すのにも一苦労でしたが、天守の中も大渋滞。あの階段の急勾配さは、今まで訪れた城のなかでも格別です。子供をかかえ、手すりにしがみつきながらの昇り降りは本当に疲れました。
 3時間ほど城にいただけで、また帰りは3時間のドライブでしたが、今度は高島城や高遠城へ行きたいなと思いました。
 城は、内堀と外堀の一部、天守、乾小天守、辰巳附櫓、月見櫓が現存です。他には昭和35年に復元された黒門と平成11年に復元された太鼓門があり、本丸御殿、二の丸御殿の跡もあります。隅櫓は櫓台しかありませんが、天守や小天守などが連なっているため、とても賑やかな印象を受けます。内部は、現存復元に関わらずとても階段が急ですが、その中でも松本城の階段の急勾配さは本当に凄かったです。階段というより梯子のようでした。


◆場所