安土城
あづちじょう

■所在地:滋賀県安土町 ■立地:独立丘上 ■別称: ■築城年:1576年
■築城者:
織田信長 ■遺構等:曲輪、石垣

大手通の石段 伝羽柴秀吉邸跡
本丸御殿跡 天主入口
天主礎石 ハ見寺の三重の塔

■歴史
 1576年に織田信長が築き、岐阜城から移った。宣教師ルイス・フロイスが称賛した天守閣は五層七階で、軒瓦の先には金箔を貼り、狩野永徳による障壁画で内部を飾るという大変華麗なものであったという。本丸御殿は天皇行幸を想定した造りであったともいわれている。
 1582年の本能寺の変後、明智秀満が城に入るが、山崎の合戦後に信長の二男・信雄が安土城奪還の際に城下に放った火が城に移り、城下もろとも焼失したという。廃城後は豊臣秀吉が八幡山城築城の際に焼け残った建物を移築してしまったが、ハ見寺に城跡の保護を頼み、徳川幕府にも引き継がれたので城址は石垣などがそのまま残された。

●現状(2005年7月)

 小学生の時に家族旅行で行ったときは、かなり荒れ果てた城というイメージであったが、2度目に訪れた時はずいぶんと整備が進んでおり、立派な大手道も修復されていた。ゴールデンウィーク中だったので、帰りは名古屋まで渋滞90キロという生涯最悪の渋滞を経験した思い出もある。
 今回訪れた時は大手門周辺の発掘作業が続いており、まだまだ遺構があるのかと改めて城の規模の大きさを実感した。城址は発掘調査のおかげもあって石垣などが状態良く残されている。大手通は幅6メートル、長さ130メートルという規模で、修復もほぼ終わっていて見事なものである。通常、戦国の城では敵の攻撃に備えてこんなに広くて真っ直ぐな登城路は築かないものだが、この大手通は戦国の世を終わらせようとした信長の強い意志を感じさせる。
 この城は信長一代限りの城であるため、現在残っている遺構はほとんど信長時代のもののはずである。石段などは実際に信長や秀吉ら家臣団、招待された家康らが足を乗せたものがあるかもしれない。その上を歩いていると思うと感無量である。秀吉の大坂城や家康の江戸城が現在の城の下に埋もれていることを思うとなおさらである。


◆場所