小学生の時に家族旅行で行ったときは、かなり荒れ果てた城というイメージであったが、2度目に訪れた時はずいぶんと整備が進んでおり、立派な大手道も修復されていた。ゴールデンウィーク中だったので、帰りは名古屋まで渋滞90キロという生涯最悪の渋滞を経験した思い出もある。
今回訪れた時は大手門周辺の発掘作業が続いており、まだまだ遺構があるのかと改めて城の規模の大きさを実感した。城址は発掘調査のおかげもあって石垣などが状態良く残されている。大手通は幅6メートル、長さ130メートルという規模で、修復もほぼ終わっていて見事なものである。通常、戦国の城では敵の攻撃に備えてこんなに広くて真っ直ぐな登城路は築かないものだが、この大手通は戦国の世を終わらせようとした信長の強い意志を感じさせる。
この城は信長一代限りの城であるため、現在残っている遺構はほとんど信長時代のもののはずである。石段などは実際に信長や秀吉ら家臣団、招待された家康らが足を乗せたものがあるかもしれない。その上を歩いていると思うと感無量である。秀吉の大坂城や家康の江戸城が現在の城の下に埋もれていることを思うとなおさらである。
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