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| ■歴史 | ||||||||
| 1571年の比叡山焼き討ち後、織田信長は明智光秀に命じて坂本城を築かせた。この城は大変立派なもので、ルイス・フロイスが「安土城に次ぐ」と記録している。 1580年に光秀が丹波を攻略し亀山城主となった後も、坂本城主を兼任した。 1582年に光秀は本能寺で信長を討ち、山崎の合戦で羽柴秀吉に敗れた。光秀は勝竜寺城から坂本城へ向かう途中で百姓らに襲われ落命した。坂本城は光秀の家臣・明智秀満が守っていたが、羽柴軍の堀秀政に攻められると秀満は城に火を放って自害したとされる。 その後、丹羽長秀が城主となり城を再建し、杉原家次、浅野長政と城主が変わったが、長政のときに大津城に移り廃城となった。石垣等は大津城築城に使われ遺構はほとんど残っていない。 |
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| ●現状(2022年11月) | ||||||||
| 現状、遺構はほとんどありませんが、琵琶湖渇水時に湖面に本丸石垣の一部が現れることで知られています。 湖畔の坂本城址公園に明智光秀像が立っています。この公園は実際には城内ではなく、公園の北が城のあった場所になります。公園にそれっぽい石積みがあって、写真でよく見る本丸石垣と似ているので間違えそうですが、城の石垣とは関係ありません。 坂本城址公園にも坂本城址碑がありますが、付近を歩くと本丸跡を示す碑があり、二の丸付近にも城址碑と説明板があります。 ※2023年に宅地開発により三の丸の石垣の一部が発掘され、開発事業者が工事を中止して保存を進めるそうです。 |
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| ◆場所 | ||||||||
| GoogleMapで開く 明智光秀像 本丸跡碑 城址碑 |
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