田中城
たなかじょう

■所在地:静岡県藤枝市田中1丁目7-20  ■立地:平地 ■別称:亀井城、亀甲城、徳一色城 ■築城年:16世紀初期頃
■築城者:
一色氏 ■遺構等:曲輪、堀、土塁、本丸御亭、説明板

移築された下屋敷公園内の旧本丸御亭 本丸は西益津小学校
二の丸西側の堀 二の丸西側の堀
円形の縄張りの痕跡がある道路 三の丸の土居と堀跡の水田
三の丸周囲の堀跡 下屋敷公園内の旧本丸御亭にある模型
■歴史
 もとは、今川氏配下の一色氏の居城とされ、徳一色城と呼ばれた。
 1570年に駿河に侵攻した武田信玄によって攻め落とされ、徳川家康への備えとして重臣・山県昌景を入れ、城の改修を行った。このとき田中城に改名されたとされている。
 1575年の長篠の合戦で武田勝頼が織田・徳川に敗れた後は、駿河に侵攻する徳川家康によって田中城は度々攻撃された。城は武田氏が築いた馬出しや湿地に囲まれた地の利を生かしてよく耐えたが、1582年に開城した。
 以後は徳川配下の城となり、1601年に入城した酒井忠利が城の拡張を行った。しかし、周囲が湿地帯のため城下町は作られなかった。
 1609年に忠利が川越へ移った後は、家康や将軍の休憩所である田中御殿として整備された。
 以後も城主が次々と入れ替わりながら明治を迎え廃城となった。
 1616年1月に家康が鷹狩のために田中城を訪れていた際に、鯛の天ぷらを食べ過ぎて体調を崩し、4月に亡くなったエピソードの舞台となった城である。
 

●現状(2016年7月)

 車で神奈川県へ行く用事があったときに、せっかく近くを通るのだからと寄り道しました。同心円状の縄張りがとても印象的な城なので、一度は行ってみたいと思っていました。
 城の東側に下屋敷跡を整備した公園があり、ここに駐車場もあります。園内には廃城後に移築されていた本丸の櫓をはじめ、いくつかの建物が復元されています。ここでは田中城の縄張り図がもらえますので、必ず立ち寄りたいとことです。
 城は本丸に小学校、本丸南側の二の丸から三の丸にかけて中学校、周囲は宅地となっており、遺構の保存状態は良くありませんが、学校の周辺に水堀の一部が残っています。
 また、学校周辺を歩くと、三の丸周囲の堀跡の水田や宅地内の土塁など、随所に遺構が残っています。
 特に、弧を描く道路と道路沿いの細長い水田、その内側の土居や土塁は、まさに円形の縄張りそのものであり、とても興奮しました。


◆場所
駐車場