江戸城
えどじょう

■所在地:東京都千代田区 ■立地:平地 ■別称:千代田城 ■築城年:1456年、1606年
■築城者:
太田道灌、徳川家康 ■遺構等:各曲輪、堀、石垣、櫓、門

大手門 百人番所
同心番所 二の丸庭園
平川門 白鳥濠
本丸 北桔梗門と天守台
天守台 天守台(手前は小天守台)
松の廊下のあった場所 富士見櫓
桜田巽櫓 桔梗門
坂下門 二重橋(本来の二重橋はこの奥)と伏見櫓
外桜田門 桜田濠

■歴史
 もとは上杉家家臣の太田道灌が築城した中世の城郭である。
 1590年に豊臣秀吉が徳川家康に関東を与え、家康は当時は既に荒廃していた江戸城へ入った。家康は早速江戸城の整備を始めたが、秀吉の伏見城築城の普請のために中断した。
 1603年に家康は征夷大将軍となり、将軍家の城にふさわしい城にすべく工事を再開した。1606年には本丸の整備を始めた。城の整備は2代目将軍の秀忠、3代目将軍の家光と続き、完成した。家康の建てた天守は秀吉の大坂城天守よりもはるかに巨大なものであったが、秀忠は本丸を拡張する際に家康の建てた天守を取り壊し、さらに大きな天守を建てた。家光も秀忠の天守を解体して同じ場所に建て直している。
 1657年、江戸を焼き尽くした明暦の大火の際に天守も焼け落ちた。天守台はすぐに再建されたが、天守は再び築かれることはなかった。その後も度々火災に見舞われ、幕末までには御殿などの主要な建造物は焼失してしまった。

●現状(2005年3月)

 滅多にない東京へ出張することがあり、午後からの仕事であったが早朝から東京へ向かい、江戸城を歩き回った。しかし、一周するには時間が足りないので皇居東御苑を見て皇居外苑を通り抜けるだけのルートである。
 東京駅から一番近い大手門から入る。大手門は高麗門と巨大な櫓門で枡形が造られ、江戸城の主要な門はほとんどこの形態である。城内の石垣は規模が大きく壮観である。本丸は広大な敷地で、ここに本丸御殿が残っていたらさぞかし壮観であったであろう。天守台は切込ハギの美しい石垣である。現在の天守台は明暦の大火で焼けた後に再建された後だが、その後の火災のためか、一部が黒く焦げていて角がとれている。皇居東御苑はかなり開放されているので多くの遺構や建物を見ることができるが、進入禁止の看板に近づくと、さりげなく私服警官らしき人が近づいてくる。
 大手門を出てから堀沿いに南へ歩くと、桔梗門や坂下門など大きな門があるが、こちらは一般には入れない。正門の前の石橋は通称二重橋。橋げたのアーチが2つあるから二重橋かなと思ったら、実際はその奥にある伏見櫓の前の橋が二重橋で、堀底からの距離があるので二重の橋げたを組んでいたらから二重橋といったらしい。今は鉄製の一重橋で立場が逆転しているので、どちらも二重橋で良いとのことである。


◆場所