工房:「閑照庵」のこと    貴方は アクセスカウンター 番目のお客様です。  ようこそ!
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1 工房:「閑照庵」と機器類など                        By 一 風
      
 沢山の名作を残した小林一茶。彼は荒野を行脚しながら、風雨に晒されながら、幾多の名作を遺した。決して、見事な書斎・机・高級な調度品に囲まれて句を作ったのではないのだ。
 お断りしておくが・・・・・
 私は、小林一茶と自分を同等に並べて芸術性を論究する心算はない。
 唯、
 工房が、粗末でみすぼらしいからと言って、私の作品をその先入観で評価されたくはない。
 ともあれ、残念だが決して、見事な工房ではない。
 「この後、何年、木工旋盤の前で材と対峙できるか??」等と考えると・・・・、”見てくれ”を飾る気持ちはないのである。
 しかし、小生の個展をご笑覧の上、『自分もやってみたい!』と、工房にやってこられた方が大勢居られた。
 その中に、79歳の方がお見えになって熱心に観て帰られた。 これには、大きな勇気を頂いた。
 実は、内心では「木工旋盤は、70歳まで・・・。」と、勝手に決め込んでいたのである。
 随分と貴重なエネルギーを、このお方に与えて頂いた。
 いやぁ〜! 人生、生きてみるものである。毎日が新発見。毎日が、新しい誕生である。
 業者も、数社お見えになって励ましてくださった。だが、現職を終えた今、業者の注文に応じて、ノルマを課すつもりもない。
 ともかく、かくのごとし、元気を頂いたが、・・・、それでもマイペースを換えるつもりはない。
 相変わらず、小生は、必要な道具と、木工作業の場所があれば、それでよいと思っている。
            
 過日、このような葉書を頂いた。また、元気を頂いた。 (^_^)/~  本当に、勇気を頂いた。
岡崎市在住の 金森豊久氏(三彩庵 紙ヒコーキ工房) 松坂屋1Fの個展で戴いたコメント(2008.1〜2)
   春一番
   ドウー.ド.ド.ド 風とともにやってこい
   つまらんものを吹きとばせ (星の王子さま)

    ほんとうにいいものを持つと、けなされても
   ニコニコしていられる。ほめられると、あな
   たもいいものを秘めておられますね、と
   思う。それはブランドじゃなくて代えもの
   のない実在感かな。それはまた、人に誇らず
   内に満ちて目立とうとしないものだ。
   それでいろ。目立ったり光ったりするとブラ
   ンドに落ちてしまうから。そうしたら、値札
   がつけられて売られてしまうかもしれないか
   らね。おまえは、みはるかす草原の中、風に
   舞い、潮騒の砂浜で私とともにいろ。
    この度は、ご案内をありがとうございまし
   た。香恋の館にて、ときどき、あったかい
   樹精を拝見しております。比較級や最上級と
   はべつのものの存在感がすきです。  草々
    平成19年3月6日     三彩庵 庵主
K子様 木の個性が生かされていて、まさに生きている”人”のように感じます。
S子様 木のぬくもりがよろしいですね。
R子様 スゴイ!の一言です。益々のご活躍に期待し、お祈りいたします。
M 氏 ごぶさたしております。頑張って見えますね。ご活躍お祈りしています。
Y 氏 ホテイさんの前の桧の古木の材質感の重量感がみごとだと思います。益々のご活躍をお祈りいたします。
K子様 びっくり致しました。
Y 氏 スバラシイですネ!見直しました。やるときはやるんですネ!
A 氏 すごい、すごい、すばらしい。ありがとう。これからも頑張ってください
M 氏 圧倒されました。樹という素材のすばらしさを改めて知りました。
S 氏 すばらしい物ばかりです。
香恋館 1F 展示場で頂いたコメント(2008.4〜9)
A氏  自然の香りに感動しました。心が安らぎます。 O女氏 日頃の疲れが、作品を見させていただいていると癒されます。
H氏  木の感触に暖かさを感じました。 Y女氏  暖かいぬくもりを感じました。
?氏  木目、きれいですね・・・。香りもすごくいいです。 M氏  何か木で作ってみたいな!! と思う。
K氏  大変モダンですで、すばらしいですね。
K氏  感動致し候 再度、秋にきました。
M氏  ぬくもりと優しさを感じました。 H氏  木の器・・・・・ あこがれます。 いいですね。
H氏  木のぬくもり、最高です。大切に使います。 N氏  木の美しさ、素朴な暖かみが素敵。丁寧な心のぬくもりを感じる作品でうれしくなります。
S女氏  手作りのぬくもりを満喫致しました。 I氏  とても感動しました。良い作品をどんどん造ってくださいネ。
H氏  ボールペン大事に使っています。 K女氏  木の特徴が出ていて,あたたかさを感じます。
N氏  木のにおい,木目の美しさに感激しました。 K氏  ○月△日、また、作品を見させていただきました。木のぬくもり、先生の心意気を見せていただきました。妻とともに拝見しました。
     響き逢うヒトは、必ず在るものである。 有り難く思う。。
 ☆ ”一風”のこと ☆ 
 親父が、俳句を楽しんでいた。親父の俳句の名前が”一風”であった。「親父(おやじ)にしてはよい名前を・・・・!」と、青年期の小生は横目でそれを見ていた。
 夏の暑い木陰で一休みしてくつろいでいるときに、フ〜ッと体を撫でて通り過ぎる、瞬時の爽やかさ。
 「そんな風のように、さわやかに一生を過ごして死んでいけたらよいなぁ?!」と、想っていたからである。
 青年期の私の夢は、挿絵を自分で描いて童話作家に・・・、とか、彫刻家に・・とか、無住寺に入って坊さんになろうか?!等とも思っていた。
 
 やがて、親父は壮年期を過ぎて老年期に入った頃に、脳梗塞で言葉を失った。右半身が不随になった。
 12年間懸命に生きて、生まれた家ではなく、病院で死を迎えた。2002年4月20日だった。
 病院には、家族と兄妹が交代で親父のベッドの横で付き添って寝たモノだった。
 親父は言葉を話すことはできなかったが、人の話は十分に理解でき、感情も通常の親父そのものだった。
 さぞかしつらい12年間だったと、時々、ふっと思い出している。

 私は、親父に”一風”名を使わせてほしいことを告げた。笑顔で了承してくれた。とても嬉しそうだった。
 そこで、木工の名前にした次第である。 m(_ _)m

 
父は、私が付き添いの日に逝った。親父の最後の日に付き添いをしたのは、私だった。
 これは、息子の一つの”救い”である。・・・。時々、思い出してそう思う。
 最後まで、至らない息子のことを、思いやってくれた・・・・!
 最後まで、息子は父に甘えていた。ここの父子の縁はこんな姿であった。。
 ・・・・そんなこれも、賜ったご縁であった。
       
 ・・・・のか?・・な?・・・と、息子(67歳)は死した後の親父に、まだ、甘えている。 ・・・の?かな??
 車庫の奥の二階に当たる場所に工房。 「閑照庵」とした。木戸を開けて入る。  材料置き場の奥に工房がある。
 
 米の収穫期は、顔だけではなく全身真っ白になるほど、埃の中の作業だった。
 農家で育った私には、木屑は何の問題もないものだと思っていた。

 狭い場所に、逐次機器を増やしてきた。前は、集塵機を作業場の中に納めていた。
 しかし、今、集塵袋から漏れる細塵を吸わないように、外に出している。
 サンディング後には全身が真っ白になったものである。しかし、「樹木と一体になった!」と、それもある種の喜びでもあった。
 ・・が、結果、健康上極めて不都合だと解ったのは、『ゴホン!ゴホン!』と、夜中に咳が出て安眠できなくなってからだった。植物は煎じて飲む。胃に入れる事は許されても、しかし,肺に入れる事は駄目なコトであったのだった。
体重は、およそ10Kg減少!! たまらなくなって、いよいよ集塵機を購入。
 だが、”年金生活”だ。機械に過剰に投資したくはなかった。最小限の施設で楽しみたい。
             
 この写真の部屋(工房)には、祖父の代に使ったチョウナ・ノコギリ・ナタなどが置いたままになっている。
 いまのところ、どこかに片付けようとは思わない。
 何故かその気になれないのである。だが、しかし、狭い!作業中に部屋の中を見回して・・・・・・、もう少しSmartな場所にしたいと思う。祖先には申し訳ないが・・・・・、一度整理したくなる。「時は流れる・・・」であるか ?
 息子に事情を話した。思い切って息子の感性に頼って、過去を整理したいとも思う。その内に何処かに片づける事になろうと思う。  親父!! 利三郎じいさん!! 歴史があって、今、私がこうして居る。 常に、繋がりを、・・・、想う。  
 刃物は、台に置いたまま。
 ・・・が、種類と本数が増加した。
 現状は少々模様替えがしてある。
 バンドソーは、便利である。購入してよかったと思っている。  Wood fastを入手する前に使っていた旋盤である。もう、これが4台目。従兄弟に台ごと進呈した。
 この部屋には、集塵機が導入されて、更に狭くなったが、外に出した。
 これも大切なことだった。
 ここで、殆ど毎日のように木工旋盤に向う。 雑然とした工房だ。
 なりふはかまわない! こんな部屋で、木の良さを削りだそうと目論(もくろ)んでいる。村の連中や友人たちが応援してくれる。  従って、材は日々増えて、置き場で亀裂が出始めた。防止策を講じながら、『日々、是、木工』と、焦るように挑んでいる。
 
 ☆ 私のテーゼ(Thesis) ☆ 
@  樹木は自然からの美しい賜物だ。”我が子”のように、掛け替えのないものだ!
 可能な限り、その樹種の・材の部位の・木目やフケの模様などの特徴を活かしたい。
 ◎ そこで、次の点に主眼を置いている ◎
材の選択  堅い比重の大きな樹が、仕上げが美しく光沢が出る。しかし、樹の香り木目・色などの景色はすべて異なって美しく見事だ。
@  保存中に両端からひび割れが入るので、その部分を計算した長さに切断する。
A  年輪の中心軸(pith)から放射状の割れ目ができる。太い物はチェンソーなどで、軸から軸に向けて少なくとも縦に二分割すると割れを最小限度に抑えることができる。
B  割れ止め剤を、両端に塗布する。
C  使用するまでの間、日陰に保存する。
 良い樹でも、その時に”手がけたい!”と感じなければ、しばらくその気になるまで保存しておく。モチベーションが高い方が、結果、満足度が大きい。
荒削り  出会った「樹」の太さ=歴史を最大限活かしたい。荒削りする。乾燥期のヒビ割れは、その「樹」の”性格"として、材によっては、隠さない場合もある。 荒削り前の原木の方が、イメージが湧きやすい。しかし、乾燥後にその時のイメージを忘れてしまわないように、外形は完成品に近い形にしておく。
 木目を見て削り始めるが、その時の木目の状況に応じて、「何を造るか?」を判断する。だが、判断するまでに時間がかかることが多い。
 荒削りは、中ぐりも行う。
 削り残す厚さは、樹種によって・又は、乾燥状態によって一定ではない。
乾 燥  造る物によって乾燥に要する期間は異なる。
 ことに、蓋付きの物を造ろうと思えば、それぞれの材の状況にもよるが、少なくとも乾燥期間は1年以上必要だ。この間に、材に含まれた水分が乾燥し、部分的に収縮率が異なる分、歪みが生じる。
@  私は、古い戸棚に入れておくことにしている。又は、工房の中の隅に風の当たらない場所を選んで置いておく。
A  電子レンジを用いて、急速に乾燥させて、乾燥期間を短縮させる方法もある。この場合、物の質量に応じた時間設定が重要となる。過ぎると、歪みはなくとも細かい亀裂が生じて、効果的ではない。
仕上げ  荒削りし終わったときに付記しておいた年月日で、乾燥が十分にできているかどうかの目安とする。
 十分に乾燥できた物のうち、「よし!今日はこれだ!!」と、造りたい物を選んで仕上げを開始する。
 乾燥中に、歪みが出てきている。この歪みを作品の味として残す場合も当然ある。
@  刃物ツールのチェック。
 刃物は、切れ味が良い程、最後のサンディング仕上げが簡単になる。その分、防塵マスクが汚れない。
A  荒削りの時点でイメージした外形・デザインを思い出し、修正を加える。この場合、デザイン(Figure)を完成させる。
 厚みは、重量感を左右する。内彫りは、重量感を考慮してなめらかに削り取る。
B  サンディング:漆塗りをする場合は、通常、240#までであるが、私は、Wax仕上げ。従って、600#〜800#。時には1,000#までを使用する。 旋盤上で回転させながら、インパクトを用いてサンディングディスクを利用すると、効果的である。
 ○ 松材等の樹脂を多く含んだ材のサンディング仕上げに際しては、サラダoilで、拭きながら行うとスムースな作業ができる。
C  Wax仕上げ。Bee-waxを主体としている。


「樹」は、”自然"そのものである。
 従って、漆などを塗らないで、経年変色を活かす。
 陶器などとは異なって、割れてしまうことはない。
 愛用されれば、その分器は変化し成長する。そう有って欲しい。
「伝統的な木地師の常識」を、知って・・・、
 その上で、尚、私なりの造り方を目指したい。
「樹」と遊びたい。遊戯三昧の時間を楽しみたい。
 拘りやとらわれを避けたい。
・・・と、すると・・・・、注文に応じていては、
 規格を優先せざるを得なくなる。
 従って、出来たものを見て、「自分のものにしたい!」と、望む方の手に渡ることになる。こんな「出会い」も嬉しい。
工房? ・・体裁
 
時間を惜しんで形振りを構わずに「一つでも・・。」と製作に勤しんできた。
 時々、「工房が見てみたい。」と、訪れるファンの方々がいる。
 振り返って見直せば、埃だらけの狭い工房である。
 だが、支障はない。見た目だけのお話である。
 子供を産む場所は、ウンコの穴の隣、オシッコの穴からではないか!
 見方によれば決して、公にしたい場所ではない。そう思って開き直っているのだ。
 
 

 
田舎のプレスリーは、そんな自分を振り返って、円空様になったような気になるときもあるのである。 (*^_^*)
 円空様は仏像を彫られたが、門外漢の小生には仏像を彫るほどの智慧も技量もない。
 しかし、円空様と同じ気持ちは確かにある、現れてくる木目に驚嘆し、仏像を想像したり仏の意志を感じたりしているからである。何かしら、・・・、そんな想いである。
 従って、完成後に漆などを塗装したくないのである。
A  地域に同行の士を増やしたい。
 オープンにノウハウを他に開示するつもりである。
 たいした技術は必要ない。それでも、一作毎に自分の成長が自覚できるところが面白い。
 惜しまずに、余すところ無く開示することが、次の自分の成長へのエネルギーとなるものだ。
 村で、幼なじみがもう一人、Woodturningを始めた。喜ばしいことだ! 共に、楽しんで”自然”を活かしたい!!!
B  オリジナリティーとは、決して他人の真似のできない、この世で唯一不二のものである。
 この世界は、TVのコマーシャルのように、『教えない!教えない!絶対に教えない! ♪』と、自分の城にお堀を造って孤高をかこっているいる人が意外と多い。  こんな人は、本当は”本物”ではないことが多い。
 本当の技術は、作者の人格がにじみ出て「個性」が微妙にアレンジされて、その人の技量として発現されるものである。
 これを”originality=オリジナリティー”という。技術は、それが”本物”ならば、どんどんと他の求める人に惜しげなく開示しても、どっこいそう易々と他の追随を許さないものなのである。
 ”originalityオリジナリティー”はどんなにささやかでも、それは輝いて容易に他の模倣を受け付けないのだ。
                  
 しかし、作者の個性が作品に反映されていない、未熟で”originality”まで進化・発展しない内は、なぜか技術を他人に明かさないで隠したいと思うらしい。
 それは、決して本物とはいえないと思うのだ。
 自己の技術には、安易に妥協しない方がよい。
  『自称名人』・『自称達人』には、お近づきにならないのが良さそうだ。そう思う。
 これは、どの方面のどの業界にもいえることだ。
C  「未熟者」で良いのである! しかし、「材」が助けてくれる。
 「一生未熟者」という知的ハングリー感が、人に不断の努力を促してくれるものなのである。
 未熟でも良い。 ”一生未熟観”。その方が良いと思うのである。
 先人と比較して、臆することはない。 ”Only One”!
 この世で、『私自身』は、たった一人しかいない。
 他者と違うから、『私』の存在の意味がある。樹を見て・聴いて、造る。
 それだけだが、造った物は、私にしかできない物なのだ。
 要は、造ったものを喜んで使ってくれる人がいれば、それで良い。
 手元に置いて眺めたいと思ってくださるヒトがいれば・・・。それだけでよいのだ。
 「独善的」と、思われても構わない。 それで良いのである。
 「芸術」と言う日本語は、結構、格式の高い特殊な意味を持たされてしまっている。
 芸術などを行っているとは考えていない。私のしていることは、Art活動である。
 アートは”いのち”の表現だといえる。私たちは、皆、今、生きている。活かしたい。
 山川草木と関わり合って生きている。大きな時空の流れも無視してはいけない。
 アートとは、音・色・文字・形で、いのちを表現するものだ。 流派を誇ったり、それに拘泥してもいけない。
 当然、芸術大学で学ばないと製作不可能な代物ではない。
 私は、私自身の命をより見極めたい。
 そうしてこの時間を爽やかに生きたいのである。「独善的」でも・・・可哉。
2 材料の調達
(1) 山取り

 何せ中山間地の暮らし!
 材料に事欠かない。
 
 最近は、シデが手に入った。
 同好の士も増えた。
 「あぁ〜!! 幸せだ!!」と実感。
 山の間伐をして、山肌に光が当たるようにする。

 伐採された材は、主に杉・檜以外の言わば雑木である。

 伐採してたものを、2〜3年後に採りに行く。

 (この方法が良い訳ではない。腐りが入って模様の入った作品を作ることは可能であるが、歩留まりが悪い。また、虫穴ができたりもする。)


 
現在は、もっと山が大きくなって崩れ落ちそうなほどになっている。最初に持ち込んだ材は、何時になったら手がけられるだろうか?
 もう、私の一生分は有りそうな気がする。
 そして、まだまだ、増加中?!!
 勿体ないようなお話である。
 
(2) 頂き物・・ その1

 柿の根株が見える。母親は、生家に訪れて弟の嫁と話をしている。女は、生家が殊の外懐かしいらしい。墓がどうの・・・、山のあの木はどうか?等と、話が尽きないらしい。

 伐っている最中にすぐ側にまで、野鳥が見に来た。チェンソーの音にも驚かない?!

 母親の実家。その墓の前の柿の伐採を小鳥が見に来た。
チョコンと、背に乗って来そうな雰囲気だった。
 母親の実家。倉庫裏の柿が邪魔だという。  従兄弟から電話をもらって、頂きに行った。  何故か、小生は祖先の魂に逢ったような気がしたのである。チェンソーの音にも驚かない?!
 そのほかにも、河岸に自然に実生で成長した、胸高直径30cmほどの桑の木を伐った。
(3) 頂き物 ・・その2
  @ 村の仲間が呼びかけてくれる。「オイッ 良い樹があるぞ!」  ・・・・・ 合歓・桜など(杉本氏)
  A かつての教え子達が、持ち込んでくれる。 ・・・・ エノキ(小寺氏)・杉(天野氏) 等
 このように、材はいっぱいある。問題は、
  A どの様に保存するか?!
  B どのよう に木取りするか? 気取っているわけではない(シャレ(*^_^*) ) 木取りは、大切な要素である。つくずくとそう思うのである。
        ・・・・・・・・・・・・・・ と、想えば、贅沢な悩みかもしれない?!


 これは、松のジン。
 山道の木陰にひっそりと鎮座していた。

花壺にしました。


 上は、ネズノキ。珍しいものだ。何れも、まだ、個性を活かしきれない。
 二つに縦分割。そして、左のような大皿を創ってみた。割れ筋が気になるが・・・・!
3 機械・器具
(1) 材料の採取用
  @ チェンソー 2台
  機  種 質量 Kg 排気量 CC 長さ mm
共立 CSE  2700
ゼノア G370
3.0
4.0
26.9
37.0
300
400
 間伐に・・、そして、取り木・切断に使用。

  A スライド式丸鋸
           バンドソー購入後は、丸鋸はTurningにはほとんど使わなくなった。
(2) 整 形 用
  @ 電気カンナ ・・・・ バンドソーの後に使うことが多い。    
      Power sonic EP-82A   幅82mm 厚さ 2mm
  A バンドソー    

    INCAー710(中古) 厚さ 200mmまで

   やはりバンドソーだ!
   これが一番便利!!
       
 FEWS(極東ウッドターニング協会)に入会したが、会の性格を誤解していた向きもあって、今年一杯で退会することにした。
 いろんな会がある。居心地が良くて愉快でなければ、格別に在会に拘りたくない。
 不快な思いを随分と味わった。(もちろん、主観の問題である。) 

 しかし、独善的な孤立も進歩がない。AAWに当面入会を決意した。 
  B ジグソー ・・・・・・ 切断能力 60mm  ストローク 18mm
(3) 旋 盤 と 付属設備
 @ 最初に
WT−300 100V 0.5馬力  使い勝手が分からなくて、3台も故障し交換願った。 現在は、従兄弟に進呈した。
 A 今は
Wood Fast
 M910
200V 1.5馬力  中古をお世話頂いて購入・・・ 10年間使用されたものだという。
  30万円支払った。新品ならば60万円だとのこと。
  汚れの着いたままの機械納品であった。「商品」とは言えない状況であった。
  車を買うのとは勝手が違う。納得しにくい。「オイオイ!馬鹿にするなよ!」
  何故かしら??? ”趣味”で使うものは高額だと思ってしまう!?
   ☆ 仕様概要
              ***************************
  ☆ 主軸サイズ1-1/4"x8      ☆ 直径52cmx長さ1m、
  ☆ 逆転可能。             ☆ 電気的無段変速。

  ○ タロンチャック(標準爪つき)  ○  VM120,VM100、VM150チャック
  ○ 回転センター           ○  ドライブセンター、
         
 
☆ チャック用アクセサリー:追加購入も含む
  ○ フェイスプレート直径75mm
  ○ ステップ爪             ○ 485mmボウル爪      
  ○ 
50mmシャーク爪          ○ 25mm爪
 B 研磨機 ・・・・ TORMEK SuperGrind 2000 ・・・・・ そして、付属設備


     アメリカの業者より、直接購入。
     以後、全てアメリカから材料などを購入している。

     しかし、アメリカ人に小生の英語が上手く伝わらない。 (-_-;)

     元英語教師に援助して頂いている。 (*^_^*)
 C 集塵機 ・・・・ KERV集じん機DC-90 ・・・・・・・ ダストバッグ30ミクロンを標準装備
 モーター 
100V、1HP  これで『ヨシッ!』と、勘違いすると、いくら”山育ちの子”でも、喘息に苦しむことになる。
 こんなものでは安心はできないことが分かった!
 1ミクロン以下の塵が身体に危険なのであった。
 この制度で、毎時何立方m排出しても、同一室内に機械を置いていては、何の解決にもなっていない。喘息で苦しむことになる。体力の消耗が激しく、生産意欲も減退する。
 くれぐれもご注意をされたい!!      
 最大風量 19立法m/分 
 ダストバッグ容量 75 L 
 重 さ 32kg 
 キャスター付のベースサイズ 幅680mm奥行410mm 
 使用時の高さ 1.5m 


参考資料等


DVD  @ Turning Wood              With Richard Raffan
 A Turning Box               With Richard Raffan
 B The Aestheics & Properties of Wood    With John Jordan
 C On the McNaughton Center Saver      With  Mike Mahoney
 D Turn it On  1〜3            With Jimmy Clewes
 E Beyond Wood... The Fine Art of Turned Wood
 F 2005 AAW National Symposium /Techniques Vol.One & 2
 G 2006 AAW National Symposium Snapshots
 H 2008 AAW National Symposium /Techniques Vol.One & 2
 I 2009 AAW National Symposium /Techniques Vol.One & 2
 J 2010 AAW National Symposium /Techniques Vol.One & 2
書籍  @ Turning Wood        With Richard Raffan
 A Turning Bowls        With Richard Raffan
 B Turning Projects      With Richard Raffan
 C Masterful Woodturning   With S.Cary Roberts
 D Turning Green Wood    With Michael O'Donnell   
3 経 緯
@








なか

 37年間の教職を定年退職したことを期に、山の間伐を始めた。
                            
 私は偏屈な頑固者である。37年間、父母達が農業をするのを横目で見ながら、時には手伝いはするものの、主体的に我が家の『農業』を如何したものか?等はまったく考えなかった。
 持論は、
 「A:公務員の月給は、市民の税金でまかなわれている。
  B:月給とは、月給であり日当ではない。・・・・。すなわち一月分の給料である。
  C:月給を頂く限り、土・日は、月以降のために休養するか、任務に就かなければならない。」
   ・・・・?! 読者の皆様に笑われるかも知れない?! と、もっぱら公務に専念した。  (^^;)
 ( しかし、農業教育に携わった自分としては、頑固でイッコクな屁理屈に過ぎない。)                            
 チェンソーは、父親がまだ元気な頃に使用していたモノがあったが、結局、新しく購入せざるを得なかった。『大きいことはよいことだ!』と、農機具店で大きめのモノを購入した。¥72,000であった。機能も、当時としては優れていた。・・・・、が、写真のチェンソーは後で追加購入したもう少し小さめのものである。
 始めて見た。・・・・が、機械の使い方、仕事のリズムがまったく解らず、疲労困憊の毎日であった。
 結局腰痛に苦しんだ。
A



使





  腰痛に苦しんだが、しかし、もの言わぬ「チェンソー」たち機械はもっと苦しんだと、今になって思う。
 よく故障させた。
  農協に持ち込んで、「こんな機械は不良品ではないですか?」と、小生。農協の機械係のK氏は応えに苦しんだ。
 故障させた原因は、   (-_-;)
  @ 全くの素人であった。
     倒す方向を決めたはずであったが、木はまったく思うように倒れなかった。
     3分の一はまったく逆に倒れてきた。
    倒した木の下敷きになって運良く一命を取り留めたことが一度ある。野暮なことをしたものである。
    倒れて来た伐木に押し倒された。一瞬、視界が塞がれた。真っ暗になって何も見えなかった。
     しかし、気づいてみると、・・・・、たまたま、私の頭の先に伐った樹の切り株があった。
     私の体は、切り株に倒れてきた木と山肌の間に挟まっていた。
     私は、枯れた枝先で眼鏡をはらわれただけで、事なきに済んだようであった。
     眼に怪我をさせなかったが、眼鏡は吹っ飛んだ。 しばらくは、何も見えずに、世界が真っ暗だった。
     ・・・。しばらくして、周りが見えるようになった。大木が、自分の上に倒れていた。
      仰向けに足を広げた私の上に、同じ方向に倒れていた。
      頭の上に切り株、股間にもう一つ切り株。
     ちょうど、伐採した樹木は切り株と切り株の上に倒れたのであった。
     しばらくして、我に返り、モゾモゾと体を動かすと、動くではないか?!
     奇跡的に、一命をとりとめたのであった。本当に強運であった。本当に馬鹿げた失敗ながら、自分の
    強運に喜びを覚えた。
  A 刃の研磨方法が解らなかった。研いでも切れるようにはならなかった。
    結局、研磨機を購入した。
  B 伐採した樹木に挟まれて、無理矢理引き抜こうとして、チェンソーを破壊した。

B






 そんなことをしながら、しばらく間伐を続けた。
 2月に堅い白樫の樹を伐採した。伐採した樹木の切り口から、透明で少し甘い透明な樹液がちょろちょろと流れているではないか?!
 何かを訴えるかのように、透き通った樹液がちょろちょろと流れ落ちていた。
 『昔、山の樹は・・・・・、ただ、死ななかった。・・・・・。村の人々の役に立って死んだんだ!!』と、
  そう訴えているような気がしたのだ。
 
 何かの付加価値を付けて、間伐した樹木を活用しなければ、本当に山を活かすことにはならないのではないか?

 ・・・・・。 そう考えるに至ったのである。 そこで、木工旋盤(Wood−Turning)を始めることにした。
 妻の理解を得るには時間が掛かったが、返事を待たないで機械の購入を開始した。・・・・。妻には、私の計画に口を挟む余地がなかった。

4 課 題
(1)





 
生意気な姿勢だが・・・ 作品には「一風」という名を使いたいのだ!!?
 脳梗塞で倒れて、言葉を失った父親に、生前依頼しておいたことである。
 父親が、生前に俳句を創った時に使っていた。これがとても好きだった。
 何故か気に入っているのである。
 ふと気づけば、さっと頬をなでて通り過ぎた風のように、かすかに名残を残して死んでいけばよい。
 ほんの瞬間
(つかのま)の一風のような『空(くう)な、存在に憧れを持っている。こうでありたいと思った。
 だが、名を付けるほど立派な作品はなかなか出来ない。 ・・・・・。 遠い、しかも、大きな課題である。
 
(2)


















 
 山の樹を使ってそれを活かしたい。・・しかし、捻れや割れの対処に苦労があること。時間が掛かること。
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 つい、焦りがでてしまう。もう、外見は、還暦を過ぎての”お遊び”に過ぎないが、Life-workのつもりである。長時間かけて樹木材を乾燥することが、ジレッタイのである。しかし、丸太材が沢山収納されている。割れが生じ始めた。さぁ〜て?!何とかしなくっちゃぁ。・・・・・。定年後の人生観!  決して、”余生”等とは考えていない。 
                 
 
いくら励んでも、一日に4個。ついつい、粗製乱造となる。自戒している。そして、
A





 作品が作成後に変形!? ・・・・ 割れと、変形の対策を・・・・!
 ○ 採取した材の切り口に、木工ボンドを 塗布した。
 ○ 収納できるものは、日陰の屋内に入れた。
 ○ 一端、荒削りしたものを、電子レンジで加熱処理して急速乾燥による方法を採用する。
 ○ 真水に浸積する方法もあるらしい。今後、これも試みてみたい。
 ○ 無駄にしないように、山の手入れ・間伐のスピードを、Wood-Turning に合わせることにした。
B



 あくまでも老後の遊びである。”遊戯三昧(ゆげざんまい)に徹したいと思うからである。
 なお、”可能な限り経費を費やさない方策を工夫するつもりである。50万円以下で・・・、と目論んでいたがそうはいかなかった。
 『ケチな野郎め!』と、失笑されるかもしれない。
 そんなわけで、中古の機械を購入した。だが、これが、結構、使い物になる。 
(3)









里山造りの捨て石になりたい・・・・・!?
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 「やれば出来るなぁ!!」と、村の仲間が同じことを始めてくれたらと思うのだ?!・・・・・・。
 山が、昔のように生産資源として認識されるようになろう・・・・?!
A




構想は次のごとくである。
 A 歴史ある山頂にある神社の麓に流れる清水を待ちから求めて来るように環境の整備をしたい。
 B 人々の集まってくるような里山にしたい。
   定年後の老人たちが、生き甲斐に汗してつくった農産物が、そのまま規格化されないで売れ
  るような設備を作りたい。
   およそ1,000坪ほどの場所を提供するつもりでいる。名前は、『杜の駅』or『里の駅』。
   ここでは、清水を汲みにやってきた人々が立ち寄って、茄子やカボチャや珍しい山菜を購入で
  きるようにしたいのである。
 C 勿論、やがてここには木工製品が並べられることになる。 
ご指導下さい    
            
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 作品は、初期のモノばかりが掲載されております。
 今、眺めてみて多少のためらいが無いではありません。
 「もう一つ手を加えておきたかった。」と、思うものもないでは無いからです。 (*^_^*)
 しかし、あの頃のチャレンジ精神とクリエイティブな気持ちを、忘れないようにしたいと、常に自戒の材料にしております。
 幸い?寂しいことに?・・・・、内面の気持ちの表現は複雑ですが、展示会において他人様の手に委ねた物も多いので、写真のすべてが手元にあるとは言えません。
 
(内心、手放したくない物『売りたくない!』と、思う物は、不思議とご縁のあるお方のところに買われていきますね?!)
 次男は、私にこんなことを言ってくれました。『お父さんのモノは”簡素”・”単純”で良いよ!』・・・・・、でした。
 私は、黙っていました。
 しかし、息子は、理解してくれているようです。時にはやってみたりもしますが、作品に線を入れたり、いろんな技巧を加えたりしたいとは思えないのです。
 樹木の偉大さは、その尊厳性をして、小生の浅はかな”技巧”を跳ね返してしまいます。
 漆なども使いたくないのです。使い込んだ後に出てくる作品の光沢や経年変色も、また、樹木の姿です。
 木目の妙を・・・・、また、虫喰いがあったら、その跡も遺したいのです。一個の樹木の歴史をそのまま美しく受け入れられるようにしたいのです。
 見事な木目の材には、ビビリを入れたり・・・等、やっては見ても、結局、仕上がり時点では無くなっています。
 作品をご覧頂きご指導を賜れば幸甚です。皆様から、メールを頂ければ誠に嬉しく思います。