展示室E-大阪万博-

  
当時、京都に住んでいた私は中学校1年生。それでもこのサンヨー館のバッジが欲しかった。

 京都からは国鉄(今のJR)に乗って茨木駅下車。そして会場までのシャトルバス(阪急バスか近鉄バスだったと思う)を使えば1時間ほどで行けた。10数回は行っただろうか。そのうちの1回は中学校からの遠足だった。夕方から出かけて行って終わりまで見学するのもなかなかいい雰囲気で、そんな夜にアメリカンパークで母と弟と3人で「ケンタッキーフライドチキン」を初めて食べた。まさしくアメリカとの出会いである。そうそう、私自身はアメリカ館には1度も入らなかった。並んでいるのがとても無駄のように思えたからだ。ほとんど人が並ばない中小のパビリオンをとにかく狙って入場し、スタンプを集めたものだ。アメリカ館にはアポロ11号の「月の石」があったが、アメリカンパークには「月の砂」が展示されていた。プラスチックの半球の入れ物に収められた「砂」は「石」ほど丁重な扱いをされているわけでなかったが、十分見る者を刺激してくれた。手に届くぐらい間近に「月」があったのだ。

 万博では多くの見物客をあてこんで、多くのみやげ物が作られた。EXPO70という文字を入れるだけで売れたものもあっただろう。そんなみやげ物の1つがキーホルダー。今も昔も子供たちが喜ぶみやげ物はバッジかキーホルダー(昔はペナントもはやっていた)に違いない。右のキーホルダーは父が買ってきてくれたトルコ館のキーホルダー。しかし、どこで売っていたのかはまったくわからない。

おもてうら

 
 台紙には外国人が喜びそうな塔のデザインがあって、当時の日本がまだまだこういうイメージの先行している国だったことがわかる。ちなみにこの塔は、奈良の薬師寺東塔だと思われる。

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