2007年5月〜
07.05.29
箱根八里の
半次郎
 
  このひとり言で、前に書いた「函館の女」と「歌詞の瑕疵」がおもしろい、と
 言ってくれた人がいる。(ひとり、だけどね)。
 で、図に乗って三回目。

 
   氷川きよしに「箱根八里の半次郎」という演歌がある。
  これも、歌詞の言い回しがうまいなぁ、と思ううちのひとつ。
 
  半次郎の状況は、
 
   (だれかと何かのイサカイがあり)意地を張って旅に出た。縞目
   廻し合羽を着て、あちこち当てもない股旅烏。いつしか三年が経ち、
   今じゃ、合羽だけでなく、張ってきた意地もホツレ勝ちである。
 
   これを、たった二行の
 
     廻し合羽も 三年烏
     意地の縞目も ホツレ勝ち

 
   で表す。初めて聞いたとき「うまい!」と思った。
 
   調べると、都都逸の3-4-4-3、3-4-5の韻律と合っている。
 
   このひとり言も、これくらい短く、うまく書けるようになりたいと思う。

 
07.05.25
反日国の
食品

 
   ご意見番のお供で、このひとり言の改善点などのスーパーへ
  食品の買出しに行く。
 
   多くの品揃えの中で価格の安いのは中国製品。
  特に枝豆などの冷凍食品は国産の半値に近いものもある。
   ご意見番は品選びのとき、必ず食品の袋に書いてある生産国名
  をチェックする。
   以前に、農薬の基準以上の使用が問題になって安全性に
  疑問を持って以来、中国製は買わないと決めているとのこと。
 
  先日、知人からワカメのお土産をいただいた。見ると、中国製。
  二人で「ニヤリ」とした。よく水洗いし、付着成分を落としてから
  食べた。
 
  一昨日、中国製の安全性への疑問を裏付けるニュースがあった。
  「やっぱりな」と思った。
 
   「食品企業の3割が無許可 中国、ずさん管理浮き彫り」
    2007年5月23日 21時57分
 
     【北京23日共同】中国の国営新華社通信が発行する週刊誌
   「瞭望」最新号によると、中国の国家品質監督検査検疫総局が
   このほど行った調査で、食品生産現場でのずさんな管理が浮き
    彫りになった。
 
     同誌によると、調査した45万社のうち、
   @ 35%の16万社が当局の許可を受けずに営業している
   A 全体の60%の27万社は出荷の段階で安全検査を
      行っていないか、検査を実施する能力がない
   B 半分の22万社は衛生許可証や営業許可証に不備があった
 
   つまり、ほとんど衛生管理がされていないと言える。
  具体的な非衛生の内容を明らかにしていないが、推して知るべし。
  知った段階で気持ちが悪くなるであろう。不二家の賞味期限切れ
  ミルクの使用どころの話ではない。
 
   これらの食品は中国国内での消費が多いだろうが、一部は
  日本へ輸出され、スーパーでも売られているはず。
  そういう物を安いから、と食べてはいけない(のではないか)。
  日本の商社が介在し、衛生管理に目を光らせているとしても、
  やはり中国製は食べないのが賢明だと思う。
 
   このニュースの新聞版では上に続けて、
    「同誌は、これらの企業に対する監督を強化し、法整備の
     重要性も強調した」とある。
   法や監督が強化されても、信用しないし、できない。
 
    では、台湾、ベトナム、タイ、フィリピン、インド製などは大丈夫
   だろうか。
    ご意見番から「これはタイ製だけど、どうする?」と相談される。
   「製品には作る人の感情が織り込まれる」という考えから、その
   国が反日的か、親日的かで判断することにしている。

 
  
上に書いた、「やはり中国製は食べないのが賢明だと思う」や
  「信用しないし、できない」とする基本的な理由もそこにある。

 
07.05.21
患者様
 
   文章を書いていると「筆が滑る」ことがある。
 
    ふでがすべる: 書いてはいけないことや、書かなくても良い
              余計なことを、うっかり書いてしまうこと。
 
   「文は人なり」であるから、筆が滑った文章を発表してしまうと
  人格を疑われることになる。
 
   先日の、ある新聞記事にその例があった(07.05.20朝刊)。
 
   医師であり作家である人(渡辺淳一ではない)のコラム。
  病院で「患者様」と言われることについて、要約すると、
  @ 平成13年に厚生労働省が発表した「病院等におけるサービスの
    質の向上指針」で、患者の呼称に「様」を付けることを推奨した。
    以来、多くの病院が「患者様」を連発するようになった。
  A かつて文部省国語審議会は日本語の敬称として「さん」を標準とし、
    「様」は改まった場合、主として手紙に使うと決めた。
    患者は改まった場合ではないし、呼称として「患者さま」を使うのは
    おかしい。
  B 病院を受診して「患者さま」と呼ばれると妙に落ち着かない。
  C だが、慣れとは恐ろしい。病院で何度も「患者様」と繰り返されるうちに、
    「病人様」「怪我人様」「高血圧様」「脳卒中様」「胆石様」「下痢様」
    「糞づまり様」
なんて言われても、なんともなくなるだろう。
 
  Cの最後の二つはいらない。筆が滑ったために人柄に「品がない」と
  思われることになってしまった。
 
    この筆者についてネットで調べると、多くの小説を上梓しており、
  直木賞候補に何度もなっていることが分かった。
 
    この文章を読んでこれとは別に、「ん?」とひっかるところがあった。
  読み直してみると、
    病院で何度も「患者様」と繰り返されるうち  に続けて、
    「病人様」「怪我人様」「高血圧様」・・・なんて言われても  の部分で、
  患者様→病人様に変化させる発想に、無理があるためであった。
  病院が「高血圧様」などと言うはずがない。
 
   どうやら、無理な発想が筆を滑らす原因になったようだ。
  この人の作品が直木賞を受賞しても当方は読まないだろう。
 
   そして、このひとり言も、図に乗って筆が滑らないようにしなくては、と
  改めて思った。
 
   え?、すでに滑っている?、ドコ?、ドコ?。
  教えてください、読者様。
 
07.05.19
73兆年に
一回
 
   ネットサーフィンをしていたら、ある俳句のブログサイトにおもしろい
  ことが書いてあった。
 
     俳句はたった17文字の文学。
    日本中の人間が俳句をどんどん作ったら、自分が考えた句はもう先に
    誰かが作っているんじゃないか、と心配になった。
    先生に言うと、「無数にあるから余計な心配はするな」とおっしゃり、
    確率を計算してくださった。
 
     言葉として成り立つ成り立たない、は別にして、単純に計算すれば、
    イロハ47文字の17の積と考えればいいわけで、47の17乗という
    ことになる。その答えは、次のような数になるという。
 
    <2穣6647?9365垓0696京2193兆4393億2219万2687>
 
     日本の人口を1億人として、
    その1億人が一日一万句ずつ俳句や川柳を作り続けたとしても、
    同じ句ができるには約73兆年かかるそうだ。
 
 
   これを読んで、昔のあることを思い出した。
 
   中学生のとき、同級生が音楽教室で「音楽の曲はドレミファソラシド
  の組み合わせだから、多くの作曲家が多くの曲を作ると、いつか同じ曲が
  できることにならないか」と言った。
   何も考えず純朴な中学生だった当方は”フーン、この友はそんなことを
  考えるのか”と妙に心に残った。
 
   大人になって、森繁久弥作詞作曲の「知床旅情」は、ハインリッヒ
  ハイネの詩にモーツアルトが作曲した「うるわしき五月」の曲の盗作では
  ないか、と話題になったことがある。
   これは結局、「森繁久弥は、学校教育でこの曲に親しんだ世代だから、
  頭にしみこんでいたメロディーが作曲に当たって無意識に湧き出した
  のであり、盗作ではない」ということになったはず。
   「まあ、それはあり得ることだ。同じ曲ができる確率の問題とは異なる
  な」と納得した。
 
   同じ俳句ができる確率と、同じ曲ができる確率は似たようなものであろう。
  
   今度のふるさとでの同級会で、くだんの同級生にあのときの疑問に
  答えてやろう。
  「大丈夫、心配しなさんな。73兆年かかるから・・・・」。
   怜悧な彼はこういうかもしれない。
  「それは、73兆年に一回ということであって、その一回は明日あるかも
  しれない」
  ・・・・・50年振りの返事なのに、もし、本当にそう言ったら殴ってやろう。
  (軽く、ね)
 
07.05.16
歌詞の瑕疵
(かしのかし)
 
   先回のひとり言「函館の女」がおもしろかったと言ってくれた人が
  いた(*)。図にのって、今回も歌に関するエピソードなどを。
                             (*: ひとり、だけどね)
 
  1.波浮の港(はぶのみなと)

 
  
 磯の鵜の鳥ゃ 日暮れにゃ帰る
   波浮の港にゃ 夕焼け小焼け
   明日の日和は ヤレホンニサ なぎるやら
 
   伊豆大島の波浮港の様子を歌ったものだが、波浮港は山を西に
  背負って東に面しているので、夕焼けは見えない。
    作詞の野口雨情が土地の事情を知らずに書いたためらしい。
 
  2.赤トンボ
 
    夕焼小焼の 赤とんぼ
    負われて見たのは、いつの日か
 
   山田耕筰は、日本語の音の高低と旋律を合わせることをとても大切
  にした作曲家。
   しかし、赤とんぼの「あ」は言い方と合っていない。  
   これは、山田耕筰がミスをしたわけではなく、昔は歌詞のほうの発音が
  正しかったという説があるが、ホントかな?。

 
 
3.影を慕いて
 
  
 幻の 影を慕いて 雨に日に 
   月にやるせぬ 我が想い 
   つつめば燃ゆる 胸の火に
   身は焦がれつつ しのび泣く
 
    古賀政男は作詞も作曲もした。
  しかし、「やるせない」の語尾変化は「やるせぬ」にはならない。
  「やるせな・く」「やるせな・き」などにはなるが、「やるせぬ」には
  ならない。でもメロディーにピタリとあてはまる語数なので、
  この歌は名曲として歌い継がれてきた。

 
 
4.宵待草
 
   
まてど暮せど 来ぬひとを
   宵待草の やるせなさ
   こよひは 月も出ぬそうな
  
   暮れて川原に 星ひとつ 
   宵待ち草の 花が散る 
   更けては 風も泣くそうな
 
   二番を補作した西条八十は「宵待草の花が散る」で発表。
  しかし、散らずに萎れる花だと指摘され、「宵待草の花の露」に訂正した。
 
  5.人生劇場
 
   やると思えば どこまでやるさ
   それが男の 魂(たましい)じゃないか
   義理がすたれば この世は闇だ
   なまじとめるな 夜の雨

 
  
晩年の吉野秀雄(歌人)は寝たきりになった。村田英雄がテレビで
  「人生劇場」を歌うのを見て、「やると思えばどこまでやるさ」という
  ところで、ガバと上半身を起してテレビに向かって、「馬鹿野郎」と
  怒鳴ったという。
  どこまでやるさ、なんて言葉はない、 「どこまで」ならある、と。
  作詞は佐藤惣之助。

 
 
 6.瞳を閉じて
  
   
瞳を閉じて”、というフレーズの歌は多くある。
   先日、TVで関根勤が「瞳は閉じない。閉じるのはマブタ」と言っていた。
   「物理的には」と断っていたが。
 
  7.女心の唄
 
   .あなただけはと 信じつつ
   恋におぼれて しまったの
   酔っている夜は 痛まぬが
   覚めてなお増す胸の傷
 
   これは瑕疵(*)ではなく、当方がかねがね、言い回しがうまいなーと
  思っている一例。
  「胸の傷は、夜、酔っているときは痛まないが、朝、覚めるとより痛む」を、
  
   酔っている夜は 痛まぬが
   覚めてなお増す 胸の傷
  
   こうはなかなか書けるものではない。
  メロディとバーブ佐竹の歌い方とも相俟って、気に入っている。
  作詞は山北由希夫 。
 
 
 
   と、まあ、昔からの、たまっていたかすかな記憶を引っ張り出してみた。
  古い歌が多いのは、そういう世代だから致し方ない。
 
   それにしても、寝たきり老人が、言葉の誤用を許せずガバと起きて、
  なおかつ、「馬鹿野郎」と怒鳴った、というエピソードがおもしろい。
  (エピソードを世間に披露したのは弟子の山口瞳)
   当方も、、いつか高齢になってもそういう気概は持っていたい。
  寝たきりにはなりたくないが。
 
   (*瑕疵:きず。欠点。また、過失。)
 
07.05.15
函館の女
 
  北海道の観光バスに乗ると地図をくれる。
 裏面に、「ソーラン節」や「知床旅情」などのご当地ソングが載せてある。
 
  今まで、「函館の女」の主人公の男は、どこかの地で、すがる女に「後は
 追うな」と言って別れ、逆巻く波を乗り越えはるばると函館へ来たのだ、
 と思っていた。
  それなのにタイトルがなぜ「函館の女」なのか、とは思わなかった。
 ウカツだった。
 
  歌詞の一番目を読むと、
 
   男は函館を出るとき、女に「後は追うな」とカッコよく言って、どこか
   遠くの地へ行った。しかし、後ろ姿で泣いていた女を思い出すたびに
   逢いたくてがまんができなくなり、函館へ帰ってきた、のだ。
 
 「なんだ、帰ってきた歌なのか」と拍子抜けした。
   逆巻く波を乗り越えて  はるばる来たぜ函館へ
 というから函館へは初めて来た、と思っていたぜ。
 
  しかし、これは間違って解釈していたほうが悪い。
 
  で、歌詞の二番目(A)、三番目(B)を読むと、
 
   泣いていた女を忘れられずA
   しぶきも凍る函館へ迎えにとんできたB
   どこにいるのかと捜すが見つからないB
   函館山へきてみると、うわさも消えた松風町の灯りがさざめくA
   一目だけでも逢いたかったB
   沖からの潮風がそんな心にしみるA
      
 
  というストーリーになる。
 
   一番目の歌詞は時系列で書いてあるが、二番目、三番目は行ったり
  来たり。
  むしろ、二番目と三番目は入れ替えるべきではないか、
  と、バス移動のつれずれに考えた。
 
  ま、演歌の歌詞は情緒を感じればいいのだろうけどね。
 
07.05.14
オセッカイ3
 
   先日、郵便ポストに、郵便局からの「非常勤スタッフ募集」チラシが
  入っていた。ハガキ形式で、返送できるようになっている。
 
    

  これを見て、昨年した「オセッカイ」を思い出した。
 
   これと同様の募集ハガキはそれまでも年に二、三回来ていた。
  先回まではずっと、印刷の文面の文字や枠がかすれ、全体が傾い
  ていた

   つまり、受け取り側が「見にくいな」と思うことへの配慮がまったくない
  シロモノだった。残念ながら写真は残してない。
   昨年暮れについにオセッカイ心が動き、その用紙に書いて投函した。
  
     「応募ではありません。
     この印刷は見てのとおり、全体が傾き、文字や枠がかすれて
     余りにひどいと思います。
      非難しているのではありません。お客さまにこのようなできばえの
     文書を配るのは失礼だということに気づいてほしいのです。
     次回に期待しています」。
  
   ここ数年、郵便局へ行くと窓口の応対が親切丁寧になったと思う。
  「気持ち悪いくらい」と言ってはいけない。
  皆さん、さらなる民営化に向けてサービス向上に懸命なのだから。
 
   上のオセッカイが、募集ハガキの印刷改善になったのかどうかは
  分からない。
  が、当方はお客様サービス向上に寄与したと思っている。

 
07.05.08
ヘンな病名
 
  先日のひとり言「認知症と達観」で、
 
    「痴呆症」という病名はまずい、というので「認知症」ということにした
   ようなのだが、いかにも舌足らずな病名だと思う。
    「物事や考えを認知することが不完全な症状」なのであれば、
   「認知不全症」というべきではないか。
 
  と書いた。
 
   この主旨に、今まで賛意、反意ともに目にしたことがなかった。
  が、ついに同士がいることが分かった。
  もっとも、このほうが時間的には先だが。
 
   つい最近読んだ本「歪められる日本現代史」(秦郁彦=はたいくひこ、
  法学博士、大学教授=PHP研究所刊 )に、
 
    ・・・差別用語と誤解されるのを心配してか、聞きなれない言い換え
   の新造語が次々参入してくる。
   精神分裂病が統合失調症、らい病をハンセン病に言い換えたのは
   数年前からだが、急速に普及している感がある。
   目下は痴呆症を認知症に置き換える運動が始まっているが、反対の
   声も出ている。先日、新聞で「認知症に対する社会の認知が欠かせ
   ない」という面白い言い回しを見かけた。
   投書でも「替えるのならむしろ”不認知症”とすべきではないか」と
   いうのである。当の患者たちはこの種の論争に参加するはずもないが
   ・・・(略)。
 
  と書いてあった。ご自分の考えを明快に表明しない書き方だが、
  この文章のタイトルが「へんてこな日本語」だから、認知症というのは
  へんてこだと言っているのであろう。
  
   だから多分、他にもそう考える人が少なからずいると思う。
 
   1982年(昭和57年)の日本航空機の羽田沖墜落事故で、原因は
  機長の「心身症」と発表された。
   このときも「心身症」なる病名に違和感を覚えた記憶がある。
  つまり、どういう病気なのかピンとこない分かりにくい病名だ、と。
 
   誰がつけるのか知らないが、病気の内容が分かるような病名がよい
  と思う。
 
07.05.01
詩の力
  
  今朝の新聞で、ひとつの言葉を詩にすることにより、また、繰り返す
  ことによって、力が生まれることを、目の当たりにした。
  
   おやより さきに しんでは いかん
   おやより さきに しんでは いかん
   なにを いうかと おもうだろうが
   そんなこと しるかと おもうだろうが
   おやより さきに しんでは いかん
   おやより さきに しんでは いかん
   いくつも いったら まもれないけど
   どうせだったら ひとつだけ
   おやより さきに しんでは いかん
   おやより さきに しんでは いかん
   ほかには なんにも いらないけれど
   それだけ ひとつ やくそくだ
   おやより さきに しんでは いかん
      

         出典:糸井重里「詩なんか知らないけど」(大日本図書)
  

   ・・・・・・・。    (←今回はゴタクを並べないほうがよいと思う)
 
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