できないけど大切なこと
「できもしないことを人に言うな」
時折耳にする言葉です。
無理難題や机上の論理を押しつけられて、閉口した経験って皆さんもあるんでしょうね。
正論や道徳を振りかざして、高みから勝手なことばかり言われてると、不快になるのは自然なことかもしれません。
「そんなに言うんなら、代わってやるからやってみろ!」なんてね。
でもね、一概に否定してしまうのも、どうかなと思っています。
道徳的に「良い」とされることの多くは、実践が難しかったりします。
なかなかできないことだからこそ、それは賞賛に値するんです。
既成の道徳や、社会の中で常識の中には、おかしいものもあり、無批判に受け入れるわけにはいかないのですが、実行は困難でも、心にとどめておくべきこと、伝えていくべきことというのはあるでしょう。
以前テレビの番組で見ました。
数人の少年が、一人の少年を取り囲んで、いじめ(たかり?かつあげ?)ている状況で、止めるために行動できるかどうかを、番組に呼んだ子どもの父親に試すという企画です。
3人の内、止めに入ったのは一人だけでした、あとの二人は見てみぬフリ・・・。
昔、駅で倒れてる人に声をかけるかどうかなんていうのもありましたね。
実際にそういう場面に直面したとき、助けるための行動を取れるか・・・これは難しいことです。
道徳的に、あるいは理想を言えば、いじめられてる子を助けるべきでしょう?
でも腕に覚えがなければ、一緒に袋叩きにされるだけでしょうし、その場はしのげても、後で仕返しや嫌がらせがあるかもしれません。
仕事や待ち合わせがあったら、しわよせやあと始末が厄介ですよね。
学校なんかでは、標的が自分に代わるだけかもしれないし、自分の立場やその後の生活を左右しかねない問題になります。
次の瞬間から助けられた当の本人すら、自分をいじめる側にまわりかねません。
それならこの観念は存在する意味がないのでしょうか?
やっぱり、困ってる人がいたら、助けてあげる方がいいですよね。
自分が困ってるとき、味方してくれる人がいるととても心強く、嬉しくなるでしょう?
やっぱり大切な考え方だと思うんです。
その場の状況や、いろんな可能性を考えて、行動を見合わせてしまうとしても、自分の中の理想として、価値観として、自分を律する基準として、心の中においておくべきことではあると思うんです。
身内や友達ならともかく、よく知らない人のために、自分を危険にさらすのは、本能に逆らう行為と言ってもいいかもしれません。
自分を守ることだってとても大切なことです。
現実を重視するあまり、道徳や哲学を軽視する見方はあまり好きじゃないんです。
生きていく中で、妥協や折り合いを重視した方がいい場面はあると思うんです、理念にこだわるあまり自分自身や周りの人を傷つけたり、いたずらに衝突したりするのは、いいこととは言えません。
でも、思考することで、衝動や本能をコントロールしようとしたり、大切に思うものにこだわることは、人間としてよりよくあろうとすることで、大事なことなんじゃないかなと思います。
人間としていかにあるべきか、個人の価値観や美学のようなもの、それを自分に課すこと、大事なことだと思うんです。
そしてそれを人に、次の世代に伝えていくことも。