話し合うことの意味

人は話し合うことでわかりあえるんだろうか?
字義通りに捉えたら、それは不可能だと思います。
でも、それでも、話をすること、言葉を交わすことには、意味があると思います。
どうしたいか、どうありたいのかを話すこと、聞くこと。何らかの形で意思を伝えようとすること、表現すること。そうした営みによって、それぞれの心の中のイメージを実像に、あるいは望む形に近づけることができるからです。
伝えたいこと・想いを、それらがあるということに過ぎないとしても、相手に知らせることは、誤解が生じる可能性を考えても、やはり無意味ではないと思います。
互いにとっての、相手の価値(わかって欲しい相手なのかどうか)、そのテーマについて自分が何を考えているのか、相手が何を考えているのか知ること(知らせること)ができるでしょう。どうしたらいいのか、どう伝えたらいいのか、考えたり試したりすることは、その後につながる経験になるだろうし、問いなおしたり深めたりする材料になるでしょう。
あたらしい視点や考え方を見つけられるかもしれません。

つまり、話し合うことの意味は、わかりあうことにあるのではなく、自分の中の相手のイメージを実像に近づけること、自分自身を深く広くすることにあると思うのです。

話し合うという経験の中で、意義を見出せたかどうかということは大きな意味を持ってきます。
何かを伝えるために、わかってもらうために努力したことがあるか、そしてその努力が報われたと感じられたかどうか、この点が話し合うということに対するその人の姿勢を左右するでしょう。
想いを伝えるという事は、相手に自分の一部をさらけ出すということであり、自分を構成する部品、価値判断の情報・材料を相手に与えるということです。
伝えたいこととは違うこと、知られたくないことまで伝わってしまうかもしれません。
また、自分の中のある部分を知られること、相手が知ったと思うことで、相手との関係を、さらには集団・社会の中の自分の立場や関係を危険にさらすということでもあるからです。
このために人は人を怖れ、ためらうのでしょう。

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