「梟の城」 司馬遼太郎 より抜粋 「わからぬ…神、仏でも解けぬ難題を小萩殿は持ちこまれた。 しかし手だてがある、ないでこの勝猛は諾否を決める男ではない。 うべないとうて勝猛はうべのうた。 絵解きはあとで一服の後考えることじゃ。」
島左近という戦国末期の武将に作者が言わせた台詞です。
三成に過ぎたるもの…と謳われたほどの、一流の戦闘指揮官だったそうです。
筒井家が代替わりしたのちに、当主に愛想を尽かして浪人し、当時四万石の知行だった三成がその半ばの一万五千石(一説にはニ万石)で召抱えたそうです。高禄で左近を召し抱えようという大名は多かったそうですが、秀吉に見出されて台頭する課程にいた三成を選んだのは何故だったのでしょう?既に名声を確立した左近であれば、いくらでも自分を高く売れたはずでしょう?その後は主に軍事面で三成を支え、関が原でもその勇名に恥じない奮戦を見せ、戦死したとか、、、
心意気というのか、凄みというのか、、、できるかできないか、目的を達成する手段を知ってるかどうか、果たせることかどうか、そうしたことによるのではなく、「うべないとうて勝猛はうべのうた」受け入れたいから受け入れる、自分がそうしたいと思うから了承する、それはすごいことだなと思います。それはもちろん無責任な安請け合いとは、太く一線を画するものです。自分の心に正直に諾否を決め、それを貫くために考え抜き、力の限りを尽くす、こういう風でありたいなと思うんです。
失敗するかもしれない、うまくいかなくて、果たせない約束をしたことになるかもしれない、そういう不安や怖れが、受け入れることをためらわせたり、「いいよ」って言ってあげられなくなったりすること。
それはとてもつらいことです、相手の願いを受け止められないことは、、、
それだけの能力がないのに、果たせない可能性が高いのに受け入れることは、間違いでしょうか?不誠実でしょうか?
困難であること、力不足であるかもしれないこと、それは相手にも分かってもらう必要があるでしょう。でも、それでも僕に望んでくれるなら・・・