第2次世界大戦が終結を迎えてはや55年の歳月が流れた。しかし今日なお世界のあちこちで人類は戦い続けている。民族の違いや宗教の違いを理由に、互いに殺し合い、奪い合う。
戦争において人類は、平時には想像すら及ばぬような、凶暴性・残虐性・獣性を発揮あるいは解放してきた。アウシュビッツに代表されるナチス主導のユダヤ人虐殺や、帝国陸軍による南京大虐殺を例にあげるまでもなく、大量殺人、暴行、強姦、虐待の事実は陣営の如何を問わず、枚挙に暇がない。
何が人を駆りたてるのか?日頃抑圧された欲望なのか、異質なもの、理解の及ばない存在への恐怖感だろうか、有形無形の精神的圧力とそれに伴う苦痛なのか、心理的な不安や不満の転嫁だろうか、理想や信念、正義感の副作用か・・・
おそらくその多くは本能的な部分、感情的な部分に根差したものであり、そうしたものが理性的な判断や、穏やかな情感を麻痺させ、あるいは超克してしまった結果、行為として現象にあらわれ、事実を残すのであろう。
地元では気のいい親父さんが、目を血走らせて相手を撃ち殺し、おびえる相手を暴行する・・・
ベトナム戦争やフォークランド戦争の後、その苛酷な環境を生き延びた兵士達のうち、決して少なくない人々が心を壊されたり、麻薬に依存するようになったりするなどの「後遺症」に悩み、それは深刻な社会問題になった。
第2次世界大戦を考えるとき、民主主義対全体主義という構図でとらえがちかと思われるが、それは宣伝の賜物のように思われる。合衆国も、英仏も、民主主義を守るために戦争をしたわけではない、それは国益のためである。この戦争でもっとも利益を得たものは誰か?それはアメリカ合衆国に他ならない。この戦争で、ヨーロッパの強国は疲弊し、アジア・アフリカへの欧州の支配力は弱まり、合衆国は広大な市場を獲得した。ヨーロッパ自体も得意先になった。このために合衆国は大恐慌からいち早く経済再建を果たし、国際的な立場を強め、その後の主導権を取ることができたのである。
ゲルニカ爆撃という事件がある、これはスペインの内戦に義勇軍として参戦していたドイツのコンドル軍団が、軍事目標ではないゲルニカという町を無差別爆撃したとされる事件である。それは現地にいた記者の報告に基づいていて、その概要は以下の通りである。
『バスク地方最古の町、そして文化的伝統の中心地ゲルニカは、昨日反乱軍の爆撃により全滅した。前線からはかなり後方のこの無防備都市への爆撃はちょうど3時間15分続き、その間ユンカース及びハインケル爆撃機、それにハインケル戦闘機、と3種類のドイツ機からなる強力な空襲部隊は、450キロ以下の爆弾を町に落とし続け、さらに推定3000発以上の2ポンドアルミニウム焼夷弾を投下した。一方戦闘機は、野原に避難していた一般住民に機銃掃射を浴びせた。実施の状況と破壊の規模において、またこれに劣らず目標の選定においても、ゲルニカ爆撃は史上類を見ないものである。ゲルニカは軍事目標ではなかった。爆撃の目的は一般住民の士気を喪失させ、バスク民族をその発生地で絶滅することにあったようである。』
これは全体主義に対する憎しみを象徴するものとなった、が、しかしそれは事実の全てではない。
ゲルニカという町は当時前線からわずか16キロしか離れていなかった。さらに、前日の戦闘で後退中だった共和主義バスク部隊が再編成を行うために終結しつつあったのである。ゲルニカは無防備都市ではなかったし、コンドル軍団はその再編成を妨害するという戦術的な目的のもとに、この町に爆撃を行ったので、無差別爆撃でもなかったのである。
さらに中国では日本軍と国民党軍の全面衝突が発生し、上海が戦場となった。ここでも日本軍が上海住民に対して無差別爆撃を行ったと報道された。
しかし実際には日本軍は軍事目標に対する精密爆撃を行ったのであり、無差別爆撃を行ったのは国民党軍であった。
全体主義国家=絶対悪という図式のもとに報道がなされ、それが国際世論として浸透していったのである。