タークス本部はミッドガルの神羅本社ビルの一角にあった。
ビルの中から覗く外の景色は煌々とした緑の光に彩られ、
この街のあらゆるものに緑の洗礼を施していた。
魔晄の光だ、とヴェルドは思った。ミッドガルの繁栄を表す光、
人類の生活を飛躍的に向上させた希望の光、そして対立を生み出す元凶でもある禍々しい輝き。
疲れているな、とモニターの前にある椅子に深々と腰をかけたままヴェルドはため息をついた。
連日続くアバランチの鎮圧で最近ではゆっくりと眠る暇もない。不機嫌そうな表情は、
普段は内心を読ませないように意識して作っているものだったが、今は疲労のためにあながち
演技とは言えなくなっていた。
モニターに目を移す。そこには八番街でのモンスター発生状況を記録した
データが映し出されていた。数時間前までは画面一面に広がるようにしてあったドットが、
今では一つもなくなっている。それはつまり駆除が終わったということだった。
実際、レノから任務が終わったという報告が数分前に入ったばかりだった。
飄々とした体をくずさない生意気な若者だったが、タークスとしての仕事には定評がある。
彼が終わったと言えば心配はないだろう。
トン、と背後で扉を一度ノックする音がした。扉は開いている。にもかかわらず、
そんな律儀な真似をする人物にヴェルドは一人しか心当たりがない。
「‥‥ツォンか」
「お疲れ様です」
コーヒーでもいかがですか、と机の上にカップが置かれる。
「今日はオフのはずじゃなかったのか?」
「片付けたい仕事が残っていたので」
相変わらず眉一つ動かすことなく平気で嘘をつく男だ、とヴェルドは思った。
だが追求したところで悪びれもせずにあっさり肯定されるだけだろう。
もとよりツォンには隠す気などない。
出されたカップを手に取り口をつける。熱いコーヒーだった。
俺の好みをよく知っているとヴェルドがツォンの方を見ると、
彼はモニターに視線を向けていた。外から照らされる魔晄と、
モニターの光によって彼の顔色は青白く見えた。だがそれは光源のせいだけではないだろう。
ツォンも連日仕事に忙殺されていた。ヴェルドが神羅の上層部と
内部調査を担当するようになってから、タークス内の大部分の仕事を
彼に任せるようになっていた。ツォンは優秀な男だった。
だが現在のタークスの仕事は彼の許容量をはるかに超えている。
それでも何とか立ちいっているのは、ひとえにツォンの実力に頼るところであったが、
引き換えにするように疲労は確実に彼を蝕んでいるようだった。
だから今日は休め、とヴェルドはツォンに休暇を与えた。わかりました、
と簡単に引き下がったのに油断をしたのはヴェルドのミスだろう。
気を抜いたのは失敗だったなとツォンの性質を知りながら見逃してしまった
自身の甘さに舌打ちした。
「いつから本部にいた?」
「数時間ほど前からです」
「俺は休めと言ったはずだが?」
「数時間前まではゆっくり休ませてもらいました」
ああ言えばこう言うとヴェルドは閉口した。ツォンのそういった頑固なところは
新人の時から全く変わってはいない、やっかいな性質だった。
「まったく、今日は休みを欲しがるヤツが多いというのに、酔狂だな」
「聖なる夜、ですからね」
「だからこそ休みが欲しいだろうと思ったんだがな」
「‥‥だからこそ休みはいらないんですよ、私には」
ツォンがモニターから外し、視線を合わせてきた。黒髪と同じ黒い瞳の奥に、
狂気にも似た暗い色が見えた。ずっと以前からヴェルドはその意味に気付いていた。
そしてツォンもヴェルドが知っていることを理解していた。
互いに理解しながら触れずにいる危ういモノがそこにはあった。
ツォンがゆっくりと歩み寄ってきた。机を挟んでヴェルドと向かい合う。
片手を机に付き、ゆっくりと顔を近づけた。
「今から‥することは、忘れて下さい‥‥」
押し殺した声でツォンは言った。彼の声は震えていた。
忘れてくれていい、だから許してほしい。それはツォンの懇願だった。
キスは唇を触れるように合わせられただけのものだった。
子供がする遊びのようなキスだったが、彼の唇は声と同じように震えていた。
数秒合わせられた後に、ツォンはゆっくりと身を引いた。
遠ざかった彼の表情は苦しそうだった。
そんな顔をするくらいならキスなどしなければいい、とヴェルドは思った。
だがそういうものなのかもしれない。狂おしい衝動のままに行動してしまうものだ。
‥‥恋、というものは‥。
「ツォン」
彼の手を取り手前に引いた。バランスを崩した体を容赦ない力で抱き寄せる。
「っ、主任っ‥?!」
「今からすることは忘れろ」
顎に手を掛け上を向かせると、強引に口付ける。唇を開けさせ舌で歯列を割り、
口腔内を執拗にをなぞった。
手の内の体が強張ったが、かまわなかった。誘ってきたのはそっちの方だ。
舌を絡ませると、ぎこちなく答えてきた。そう、それでいい。
「ヴェル‥ド、主、任‥‥」
唇を離すとツォンの黒目が戸惑いを隠せない色でヴェルドを見上げた。
何て目をするんだ、と苦笑する。
彼の体を掴んでいだ腕を離し、片手で机の上にある書類を払い落とした。
バラバラと紙の落ちる音に続いて、コーヒーの残るカップの落ちる音が響いた。
紙の上に染みが広がっていったが気にも留めなかった。
「報告書が‥‥」
ツォンは落ちた書類を目で追い、慌てた様子で拾おうと身を起こした。
だがヴェルドは彼の体を片手で易々と机の上へと押し倒すと、
上から伸し掛かるようにして押さえつけた。
線の細いタイプではあったが、ツォンの体は男だった。
抵抗すれば簡単に抜け出すことが出来ただろう。だが彼は逃げなかった。
そうなることをヴェルドは知っていた。
「俺は卑怯だな‥‥」
自嘲気味な笑みが漏れる。だがツォンは首を振った。
「私が望んだ事、です」
静かな声だった。何かを受け入れたような、諦めたような、そんな不思議な声音だった。
組み敷いた体から強張りは消えていた。それが彼の了承だった。
ヴェルドはツォンの上着を取り、ネクタイを緩めた。白いシャツの間から手を差し入れ、
何かに急かされるように剥ぎ取った。薄暗い光が照らす室内に白い肌が浮いた。
優しい言葉もなく、卑怯な行為だけが、今から行われようとしていることだった。
「忘れます‥‥今日が、終わったら‥‥すべて」
ヴェルドの内心を読み取ったようにツォンが言葉を紡いだ。
そうすることで互いに望んだ結末になることを知っているようだった。
忘れることなど出来るはずがない。だが、それを知って尚、彼は忘れると言った。
―――― 忘れる振りをする、と言っているのだった
窓から差し込む魔晄炉の光がツォンの横顔を照らした。彼は表情を変えなかった。
こんな時でも平気な顔をして嘘を付くのだ、とヴェルドは思った。
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