サッカーボールを高く蹴り上げると光の加減で青空に吸い込まれるようにして見えなくなった。
だがそれも一瞬のことで落下するボールを視界に捕らえると、利き足を使って器用に受け止める。
道路を歩きながらそれを繰り返していると体に感じたひんやりとした空気にそろそろ半袖が
肌寒くなる季節だということを実感できた。
学校からの帰り道に大輔はよくそうしてボールを蹴りながら遊んでいた。
サッカーの練習と周りには言っていたが、単純にボールを触るのが好きだというのが理由だっだ。
常に何かをやっていないと退屈で仕方が無い。
落ち付きがないと評されるその個性こそが自分を形作る大切な特性だということを
無自覚のまま大輔は知っていた。
「あ、やべっ!」
放り上げたボールが予想とは外れた弧を描いて道路に転がる。
道は緩やかな坂道となっており、落ちたボールはコロコロと車道まで転がった。
彼は何か1つのことを考えると後のことには頭がまわらない性分だった。
だから反射的にボールを追いかけた大輔には横から来ていた車のことは頭になかった。
左腕を誰かにつかまれたと思った瞬間に容赦のない程の力で腕を引かれた。
急激に加わった力で腕の筋肉が軋みをあげる。
何するんだと抗議の声を上げようとした途端、すぐ目の前を車が通り過ぎた。
その光景を横目で見ながら大輔は誰かの腕の中に抱きとめられた。
勢いが付きそのまま2人して倒れ込む。
_________________________ ぞくり
恐怖は直後に来た。
全身から冷や汗が流れ出す。辛うじて助かった命と、
あのまま車道に出ていたらという恐怖が大輔を包み、今さらの様にガクガク震えが来た。
「ばかやろう、何やってんだ!」
怒鳴り声が上から降ってくる。
聞き覚えのある声に戸惑って上を見上げると記憶にある金色の髪が視界に入った。
見慣れたその色に大輔は気に食わないクラスメートを思いだしたが、彼とは違うようだった。
「‥‥おい、大丈夫か」
先程とは違う、心配そうな声で彼が問いかけた。
「あっ‥‥‥ヤマトさん」
大輔をしっかりと抱きとめたまま覗き込んでいたヤマトはやっと安心した様にため息を付く。
「心配させるなよ、ったく‥‥‥」
ほっとした声音でヤマトが言う。だが大輔はまだ虚ろな表情でじっとしたままだった。
不審に思って大輔を見ると彼は慌ててヤマトから離れて立ち上がった。
ありがとうございます、と青ざめた顔で言い、ふらふらした足取りで歩き出す。
その普段より随分頼りない後ろ姿を見ながらヤマトは再びため息を付いた。
「 ________________________ まてよ」
振り返る間も与えず大輔の腕をとると、
ついて来いと乱暴に言い放ち彼の返事も待たずに引きずるようにして歩き出した。
「ど、どこ行くんですか?」
「オレの家」
ええっ?!と困惑の声を上げる大輔には目もくれずに腕を掴んだまま連れて行く。
_________________________ 世話のやける‥‥‥
本人が気付いていないなら誰かが何とかしてやらなければならない。
元気が取り得の少年に不安の影を残したままにすることをヤマトは潔しとしなかった。
部屋にあるソファーの上に有無を言わさず大輔を座らせ、ヤマトは台所へ向かった。
一人取り残された大輔は居間を見回す。
適度に整理され、適度に散らかされた生活感のある家にヤマトの日常を感じた。
タケルに聞いた話ではここには彼と彼の父親しか住んでいないという。
料理も自分で作っているのだろうか。
見かけからはあまり想像出来ない光景を思い描いて大輔は不思議な気分になった。
しばらくして水を持って来たヤマトはどこか虚ろな表情が消えない大輔を見て眉をひそめる。
どうやらそうとう重症らしい。 声をかけてコップを大輔に手渡すと彼は胡乱気な表情で手にした
それを眺めている。
「‥‥‥別に毒なんて入ってないけど」
「す、すいません」
呆れた口調で言われ、大輔は恐る恐る口をつける。
始めは遠慮がちに飲んでいたが、思いのほか喉の渇きが激しく、すぐに勢いよく飲み干した。
「ありがとうございます」
空になったコップを手渡すとヤマトはすぐ側の机にそれを乗せ自分もソファーに座り込んだ。
そのまま何を言うわけでもなく沈黙の時が流れる。
ヤマトの意図が分からずにしばらくじっとしていた大輔だったが、すぐに沈黙に耐え切れなくなった。
伺うようにヤマトを見ると彼はさっきからずっと机の方を眺めたままでいる。
こういう状況に大輔は慣れていない。
怒鳴られるとか、説教をされるとか、何でもいいから何かをして欲しかった。
これではまるで針のムシロだ。
「 ________________________ すいません、反省してます」
小さな声で謝るとヤマトが大輔に向かって手を伸ばした。殴られると思い、思わず目を閉じる。
_________________________ トン
肩に触れた手を暖かいと思った瞬間に大輔は優しく抱きしめられた。
顔のすぐ横に特徴的な金色の髪がふわりと掛かる。
「ヤマトさんっ?!」
うろたえた声を出したが、ヤマトはその手を離そうとはしない。
自分より身長のあるヤマトの腕の中で大輔は場違いな安心感を覚えて身動きがとれなかった。
「‥‥‥あの」
声をかけるがヤマトは黙って大輔を抱きしめたままだった。
しばらくはどうしたらいいのか分からずされるがままに腕の中でじっとしていた大輔だったが、
そのうち何故かいたたまれない気分になってきた。いったいこの人は何を考えているのだろう。
「もう平気だ」
_________________________ トクン
心臓が音を立てて高鳴った。
思いがけない彼の行動と、それに対する自分の反応に戸惑いが隠せない。
困惑を誤魔化すためにヤマトを手で押しのけようとした。
_________________________ えっ‥‥‥
動かした手を見てやっと大輔は自分が震えていることに気が付いた。
ガクガクと小刻みに揺れる手は明らかに恐怖を表すもので、
もう大丈夫だと思っていた事の思いがけない残滓に愕然とする。
「平気だ」
繰り返し心に染み入るような声で言われると無意識のうちに自分を束縛していた何かが
融解していくのが分かった。
混乱と恐怖を訴えていた心が次第に静けさを取り戻す。
震えがおさまってくると今度は何故か涙が溢れてきた。
「あっ‥‥‥」
ぽたりと一滴、頬を介して滴が落ちる。
馬鹿にされると思って身を強ばらせたが、ヤマトは何も言わなかった。
気付かないわけでもないだろうに、ただ黙って大輔を抱きしめている。
ヤマトは知っていたのだろうか
自分でさえ自覚していなかった恐怖を。
人の事など気にしていないように見える彼の意外な一面を大輔は垣間見たような気がした。
絶対的な安堵感が全身を支配し精神が安らぎを訴える。
小さな子どもじゃあるまいし、泣き出すなんて情けないと思ったがどうしようもなかった。
堪えきれない鳴咽が口をついて出るとヤマトはそっと手を大輔の頭に乗せた。
親が子にするようなその仕草に大輔はためらいがちに身を預ける。
_________________________ トクン
頬を当てている場所から小さな鼓動が聞こえる。
その秀麗な容姿のせいか人形のような印象を受けるヤマトの確かに生きている証を大輔は知った。
_________________________ 生きてるんだ
そんな当たり前のことが新鮮な驚きだった。
一定のリズムを刻みながら繰り返される鼓動に大輔は目を閉じて耳を傾ける。
それは不思議な体験だった。
ともすれば止まってしまいそうなほど小さな音なのに、この鼓動こそが彼のすべてを支えている。
一時も休むことなく死ぬまで動き続けるということはどれほどのエネルギーなのだろう。
もっと聞きたい。もっとこの音を聞いていたい。
そう思ってヤマトにすがり付く。呆れられるかもしれないという思いが心を過ぎったが、
今はそんなことなどどうでもよかった。
ただこの消えそうなほど小さくて暖かい音をもっと側で聞きたいと、それだけしか考えられなかった。
「あの、オレ帰ります‥‥‥」
真っ赤になって俯きながらしゃべる台詞をヤマトは玄関の扉に身をもたせかけて聞いていた。
「大丈夫か、何なら泊まってってもいいんだぞ?」
ヤマトはすっかり暗くなった夜空を見上げた。
今日は親父がいないから気楽なもんだし、と付け足すと慌てて大輔が結構ですと首を振った。
「ふん‥‥じゃあ気を付けてな」
「 ________________________ はい」
消え入りそうな声でそれだけ言うと大輔はあっという間に廊下を走っていった。
_________________________ 照れてるのかな?
人に甘えるってことに慣れてないのだろうか、とヤマトは思った。
あのくらいの年の子はそんなものだったのかと考え、
彼と同年代の弟のことを思い出してそうでもないかと思い直した。
だが、どちらにせよ彼はもう行ってしまった。
泣くだけ泣いた後だから心配はないだろう。後は自分で何とかできるに違いない。
彼は弱い人間ではないのだから。
手のかかる弟が出来たみたいだと思い、ヤマトは本日何度目かのため息を付いた。だがそれは不快な気持ちではなかった。
彼は大輔が自分の前で泣いてしまったことに照れているのだと思っていたし、
その考えを疑うこともなかった。
だが、もちろん実際はそんなことではなかった。
階段を駆け下りマンションの外まで来ると、大輔は服の上から自分の心臓をわし掴みにした。
_________________________ どっ、どうなってんだよ!
トクントクンと普段より大きな音を刻む鼓動はあきらかに走ってきたせいだけではなかった。
ぎゅっと目を瞑って先程のことを思い出すと、トクリと鼓動が一際大きな音をたてた。
うっかり寝入ってしまった大輔は目を覚ますとあたりが赤を多く含む色彩で染められていることに
気が付いた。見慣れない部屋の景色に戸惑ったが、自分をしっかり抱きしめたままでいる
人物に気付くとやっと状況が理解できた。
_________________________ あれから眠ってたのか‥‥‥
立ち上がろうとして体を動かしたが、ヤマトの規則正しい寝息
に気付いて慌てて動きを止める。
見るとソファーにもたれかかったままの状態で彼は眠っていた。
金色の髪が今は室内の景色と同じく赤に染まっている。 その光景に震えが来るほどの
高揚感が全身を満たした。
_________________________ 何てキレイなんだろう
知らず知らずのうちに髪に手をのばして一房握りしめる。
手に取った髪は思ったよりずっと柔らかくてしばらく大輔はその手触りを味わっていた。
「んっ‥‥」
小さくヤマトが声を漏らす。起こしてしまったのかと思って身を固くしたが、
眠りから覚める様子はない。大輔はほっとため息をつくとあらためてヤマトを見た。
本当にキレイな人だと思う。それは初めて会った時から感じていたことだが、
こうして近くで見るとあらためてそう思った。
金色の髪や白い肌など整った容姿は彼の弟も同じだが、
タケルにはない強さと儚さがヤマトにはあった。
総じてそれは艶やかさと言えるものだったが、大輔はまだその感覚が理解出来るほど
大人ではなかった。 それでも、目の前にいるこの人に触れたいと思う気持ちだけは感じて
‥‥‥‥
引き寄せられるようにして頬に手をあてる。温もりが肌を介して伝わった。
それは今までに経験した事のない種類の感覚で大輔は衝動的にヤマトに唇をよせた。
_________________________ ヤマトさん
心の中でそっと彼の名を呼ぶ。痺れるような感覚と切なさに身が切られるようだ。
唇を離してからもそれは残っていて、夢でも見ているように大輔の意識がぼうっとなる。
本当に自分はいったいどうしてしまったというのだろう。
ふいにヤマトが身じろいだ。慌てて頬に当てていた手を離すと気だるそうに瞳が開かれ、
蒼い色彩があらわになった。
その様子をじっと覗き込んでいた大輔と視線が合う。
「 ________________________ 大輔?‥‥ああ、悪いオレも寝ちまったのか」
額に掛かった髪を片手で掻き揚げてまだ眠そうな声でヤマトが言葉を紡ぐ。
途端に夢見心地の浮遊感に捕らわれていた大輔は頭を殴られたように現実に引き戻された。
_________________________ オレ、今何やったんだっ?!
先程とは種類の違う混乱に大輔は戸惑った。自分のした行為と、
それが引き起こす分けのわからない感情に頭の中がぐちゃぐちゃになる。
「 ________________________ 大輔?」
目を見開いたまま動かない大輔を不信に思い、ヤマトは彼の目の前で手をひらひらと振った。
「わあぁっ!!」
「だ、大輔っ?!」
ガタンと大きな音を立ててソファーから転げ落ちた大輔を見てヤマトは慌てて彼を起こそうと
手を伸ばした。だがそれはさらに大輔を混乱させるだけだった。
それから後のことはよく覚えていない。
只ならぬ自分の様子を心配しているヤマトに適当な言い訳をして家を飛び出したような気がする。
「ヤマトさん‥‥‥」
声に出して名前を呼ぶと胸の奥で何かがチリチリ痛んだ。
近くの壁に手をついてその場に座り込む。
瞼の奥に浮かぶのは心配そうに自分を見下ろすヤマトの姿だった。
_________________________ なっ、何考えてるんだよ
馬鹿みたいに彼のことしか考えれない自分に気が付いて大輔は困惑した。
まったく、これではまるで
_________________________ まるで恋でもしているみたいじゃないか
ギクリと体を震わせる。
恋だって?冗談じゃない!!相手は男で、年上で、何度も怒鳴られたし、殴られもしたし、
いつも太一先輩を一人占めして、しかもあのタケルの兄貴で ___________________
でもすごく暖かくて優しい人だった。そんなこと、今まで気付きもしなかったけど。
乱暴な物言いの裏に不器用な思いやりがあった。
当たり前の様に差し伸べられた腕は驚くほど優しくて切ないほどだ。
ヤマトの方が自分よりもずっと大人で強いはずなのに無防備に眠っている姿を見た時には
自分が守ってやらなければならない気がした。
_________________________ そう思ったら反射的にあの人に‥‥‥‥‥
「あーもう、どーなってんだよぉー!!」
夜空に向かって叫ぶと少しだけ気がまぎれた。
頭を抱えてその場にうずくまった大輔はマンションの住人が変なモノでも見るように
横を通り過ぎるのにも気付かず、頭をがしがし掻き回していた。
少年の恋はまだその自覚さえ無いうちに始まっていた。
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