内側から鍵を外す音が聞こえたので相手が中から扉を開ける前にノブを回した。
開かれた扉に一瞬ぎょっとした表情を浮かべたヤマトだったが、
そこに太一の姿を確認すると少し照れたような表情で入れよと促す。
中に一歩足を踏み入れた太一はドアを閉めると後ろからヤマトを抱きしめた。
「ヤマトの感触がする」
その手を振り払うわけでもなくヤマトは呆れた声音でバカなこと言うなと返しながら
太一の手に自分の手を重ねた。温もりが伝わると互いの身体にぞくぞくするような感覚が走る。
このままだとこの感覚に溺れてしまいそうだと思ったヤマトはそっと太一の腕を振りほどいた。
「宿題やるんだろ」
暗に牽制の意味を込めて言うと太一は不満そうに顔をしかめたが、
ヤマトが完全に相手をしてくれないと分かるとしぶしぶ部屋へとあがった。
太一がヤマトの家へ泊まりに来るのは珍しいことではなかった。
突然電話が掛かってきて「宿題が終わらない」「暇だから」と子供のような理屈をこねては
ヤマトの家へ転がり込むのが太一の日常となっていた。もちろんそれはヤマトに会いたいという
口実だったが、それを分かっていても了承をしてくれるのだからヤマトだって
満更でもないのだろうと太一は思っている。
それは実際にその通りだった。
ヤマト自身はあまり認めたがらなかったし、そんなことを口にするほど素直な性分ではなかったが、
あきらかに普段皆に見せるものとは性質の違う雰囲気がそれを如実に表していた。
_________________________________ ヤマトは気付いてないだろうけどな
色素の薄い髪を視界にとめながら太一は嘆息した。変なところでニブい奴なんだから。
それがまた太一の情欲を煽るのだった。
前触れもなくヤマトが手にしたノートを取り上げ、無造作に床へと落とす。
小さく息を呑む音がしたが、かまわず髪に指を絡ませた。
柔らかな手触りを楽しみながらニヤリと笑うと苦々しい表情で睨み返される。
「_______________________ おまえな」
「いいだろ、宿題全部終らせたんだし」
顔を近づけて熱っぽく囁く。真っ赤になって何やらいいわけがましく呟くヤマトを
宥めるように抱きしめると、諦めたように太一に身を預けてきた。
しばらくそのまま彼の心地良さを味わっていた太一だったが、ふとあることに気付いて顔をしかめる。
「_______________________ 誰だ?」
「‥‥‥何?」
質問の意味が分からずヤマトは首をかしげる。
「他のヤツの匂いがする」
「_______________________ 太一‥‥‥」
がしっ、と服を掴み、襟元へ顔を寄せながら上目遣いで自分を見る太一にヤマトはため息を付く。
「なあ、誰なんだ?」
「大輔だよ」
「だっ、大輔とデキてたのかっ?!」
「んなわけねぇだろ!!」
激昂して力加減をせずに殴ると、太一は情けない悲鳴をあげて床の上にうずくまった。
「痛い‥‥」
「‥‥‥‥‥お前が変なコト言うからだ!」
だったら何なんだよ!と泣きそうな声で言う相手に先刻あった出来事を説明する。
やましいことは何もないので気楽に話すヤマトだったが、
彼の話を聞いているうちに太一の顔が渋面になっていくことには気が付かなかった。
すべてを話し終わった後、太一をは何やら思う所がありそうな表情で腕を組む。
不思議に思って覗き込むと彼が小さな声でぽつりと呟いた。
「大輔、後でシメる‥‥‥」
「だからそういうんじゃないって言ってるだろう!」
人の話を聞いていなかったのかと怒鳴ろうとしたが、ふいに太一と視線が合って言葉を飲み込む。
_________________________________ たまに
本当に珍しいことだったが、太一はこのような目でヤマトを見る。
ひどく真剣で澄んだ眼差しは、どれほど拒もうとしてもヤマトの内側に入り込んできて
離れないものだった。もし自分を二度と立ち直ることが出来ないほど傷つけることが出来るものが
あるとしたら、こういう種類のものだとヤマトは思う。
攻撃的で激しいものに対しての耐性はある。
打算と駆け引きを持つものにだってそれなりの対処は出来る。
でもこれは駄目だ。
すべてを取り去った後に残る純粋な想いだけにはどうしたって適わない。
ヤマトは怖かった。
それが今のように優しくて暖かいものならいい。
だが憎しみや恐れを含むものをその瞳の中に見つけてしまえばもう自分は駄目だろう。
何をされなくても、それを彼の中に見るだけで駄目になってしまうに違いない。
いつか、そんな日が来るのだろうか。
ずっと先に?
それとも、もっと近い未来に _________________________________
動かないヤマトの手をそっと太一が取る。
触れた部分から伝わる熱がヤマトに現実感を取り戻した。
「_______________________ 抱きたい」
想いを隠さない真剣な声音で言われると、身体の芯から痺れがくる。
「嫌か?」
「_______________________ 嫌‥‥じゃない、けど」
戸惑ったままのヤマトを太一は抱きしめた。本当はいつもこうしてやりたい。
現実にそれは無理だと分かっているし、そんなことを本気で望むほど子どもではなかったが、
そう思わずにはいられない。
色々一人で思い悩むことが多い彼に自分がいるということを教えてやりたかった。
いったい
どうすればこんなにも愛しい想いを伝えられるというのだろう。
彼らの持っている世界はそれほど広くない。
その世界の中でも守らなければならない多くのものがある。
必要のないものも含んだそれは良い意味でも悪い意味でも彼らを縛り付ける。
_________________________________ 本心を言えば
そういったものすべてを捨ててヤマトの側にいたかった。
全部どうにでもなってしまえと思ったことだって何度もある。
だがそうなった場合、すべてを敵にまわしても彼を守りきれるほど自分はまだ強くなかった。
だから適当なところで折り合いをつけて、こうやってヤマトの側にいるのだ。
それでも、
もし本当に必要な時が来たら命を懸けて守るから。
_________________________________ 大切なんだ‥‥‥誰よりも
それをヤマトは理解しているだろうか?
「行こう」
今だにこの行為に逡巡を覚えるヤマトを促すと、彼は躊躇いながらも素直についてきた。
ソファーの側まで連れて行き、そこへ座らせる。
唇を重ねようとヤマトの身体を背もたれに押し付けると物言いたげに押し返された。
「ここでか?」
上目遣いに太一を見ながら不安そうに聞くヤマトに苦笑する。
「大輔とはここでだったんだろ?」
「だからそれはっ‥‥!」
「_______________________ 分かってる」
そういうんじゃないってことは分かってる。
「でも、後でヤマトがここに来た時、思い出すのがオレだけなのがイイんだ」
他のヤツのことじゃなくて、と付け加えると深い海の色を思わせる蒼い双眸が揺れた。
切なそうな眼差しは太一に残っていた理性を忘れさせるには十分だった。
「‥‥あっ、タイ‥チ」
すでに何度目か分からないほど繰り返し呼んだ名前をもう一度呼ぶ。
熱を帯びた身体は易々と相手に組され、すでに自分のものではないようだった。
始めは痛みを訴えていた感覚も今ではそれに取って代るような快楽の影に身をひそめている。
「あぁ‥んっ‥‥」
身体を揺さぶられる度に自分ものとは思えない甘い声が漏れる。
慌てて声を殺そうと口に手をやると、それを無理矢理引き剥がされた。
「声、出せよ」
「無理‥‥言うなっ‥‥‥」
いつもより幾分低い太一の声音に胸の奥で何かがざわめきだした。
それを誤魔化すために慌てて首を振り、懇願するように太一を見る。
「そうやって我慢してる方が無理だろ?」
揶揄するような口調に涙が滲んできた。
それが生理的なものなのか精神的なものなのかは分からない。
案外両方かもしれなかった。
瞳から零れた涙を太一がそっと舐めとる。
行われている暴力的とも言えるような行為とは異なりそれは優しい仕草で、
ヤマトの心に小波を立てた。
「我慢するなよ _______________________ オレの前では」
ビクリと大きく身体が震える。
その反応に気を良くした太一はヤマトの首筋に唇を寄せた。
最後にはいつもそんな言葉に翻弄されて太一の言いなりになってしまうのが常だった。
_________________________________ こっちの言い分など聞きもせずに
疲れているとか、明日は学校があるとか、言いたい事は山ほどあるのに
何一つ聞き入れてはもらえない。太一の身勝手さにはいつも呆れるばかりだ。
_________________________________ でも
そういう気持ちだって嫌なものではない。
何だかんだ言っても彼のやることを黙認してしまうのだから自分は太一を受け入れているのだと思う。
キレイな部分も、そうでない部分も、全部含めて目茶苦茶に引っ掻き回されて、
疎ましいと思ったこともあったけど今ではそれだって大切だと思ってしまうほどに‥‥‥‥
いつからだろう。
こんな気持ちはいつ頃からだったのだろう。
「_______________________ ヤマト」
一緒に、と耳元で囁かれ夢中で太一に縋り付いた。
何も考えられなくなるほど追いつめられて身体が限界を訴える。
力強く引き寄せられ、彼の声で自分の名を呼ばれる度に狂いそうな程の何かが
ヤマトを内側からかき乱した。
_________________________________ 太一
心の中で彼の名前を呼んだ。
その言葉だけが今、ヤマトにとって意味のあるものだった。
声を殺すことも忘れて身体を震わせると、ガクリと力が抜けてソファーの上に倒れ込む。
ヤマトを支えて荒い息をついていた太一も覆い被さるようにして横になった。
静かな部屋に2人の呼吸がやけに大きく響く。
気だるさに促されるまま太一にもたれ掛かるとトクリと鼓動が聞こえてきた。
耳を傾けるといつもより少しだけ早いそれが何度も繰り返されていた。
飽きることなくその音を聞きながら、しばらくはそうやって夢うつつの状態でまどろんでいた
ヤマトだったが、
ふいに太一が起き上がる気配に顔を上げた。
虚ろな表情で何をするのだろうと見ていると彼はヤマトに唇を重ねてきた。
触れるだけのものではなく、もっと深い情を交わしあうほどの口付け。
「_______________________ まだ欲しい‥‥欲しいよ、ヤマト」
もっと触れたいんだ、と言われればそれを拒むことは出来ない。
熱の残りが再び身体を覆う様になるのを感じながらヤマトはそっと太一を抱きしめた。
「おい、平気か?」
「_______________________ 誰のせいだと思ってるんだ‥‥‥‥」
臆面なく聞かれた台詞に青ざめた顔でヤマトが答える。
負けん気の強さはいつも通りだったが言葉に覇気がない。
下駄箱で靴を履き替えた後、おぼつかない足取りで教室に向かおうとするヤマトを
太一は慌てて横から支えた。身体に触れた途端にヤマトが小さくうめく。
慌ててごめんと誤り手を離すとヤマトは少しだけ顔を赤くしてフイっと横を向いた。
「やっぱり今日は帰った方が‥‥‥」
「嫌だ」
きっぱりと返された答えが太一の言葉を遮る。
普段よりも意固地なその態度に太一は眉をよせ、次の瞬間に思い出したようにポン、と手を叩いた。
「ヤマト‥‥‥もしかしておまえ」
ビシっと指をさして「皆勤賞を狙ってるだろう」と言うと、ヤマトは少し戸惑った後に妙に神妙な面持ちでこくりと頷いた。
今どきそんなの本気で狙っている奴がいるなんてと太一は呆れたようにヤマトを見たが、
うるさいと一蹴される。
さらに機嫌を悪くするようなことを言ってしまったのでしばらくヤマトの機嫌取りに
必死になる太一だったが、そのうち彼の教室が見えるところまで来ると、
どちらからともなく黙りがちになった。
ここまでしか一緒にいられない。
彼らはクラスが別だったので側にいられるのはここまでだった。
別に一生の別れでもないし、会おうと思えばすぐに会える距離だったが、
それでもこうして触れ合った後にバラバラにならなくてはならないことに
互いに一抹の寂しさを覚えた。
「じゃあ、オレ行くよ」
「ああ」
「休み時間とか様子見に行くから」
「_______________________ 別にそこまでしなくても」
頬を赤らめてヤマトが言葉を濁すと太一は教室から死角になるようにヤマトを隠し、
そっと唇付けた。
「たっ、太一!!」
「じゃーな」
文句を言う間も与えずに廊下の向こうに去って行く。
どうせまた悪戯が成功した時によく見せる人の悪そうな笑みでも浮かべてるんだろうと思ってヤマトはため息をついた。
それでも、ひどく疲れている体とは対照的に心は落ち着いていた。
安らいでいると言えるのかもしれない。
_________________________________ 結局
そういったものが刹那的でしかなくとも自分は後悔などしないということを
ヤマトはよく分かっているのだった。
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