「 何よりもまず悪趣味を 1 」

    《 戻 》





 彼はまるで落ちる様に地上へと向かっていく。 今まではっきりとした力を持っていた体がふいにぐらりと揺れ、そこには意思の欠片も残っていない。 箒からバランスを崩した反動で短く切りそろえたくせのある髪が風になびき、彼の表情を隠した。 数秒の間に地上との差はどんどん縮まり、ほんの数メートルのものとなる。 なのに彼は未だ箒を上げることもせずに重力に従ったままだ。 そんなところから落ちれば死ぬか、良くても大怪我は免れないというのに。
 毎回、この瞬間だけは生きた心地がしないとシリウスは思う。 これが彼のやり方だと分かっていても、この後の展開を知っていても。 いつも最悪のシナリオが脳裏を過り、背筋が冷たくなる。
___________________ もし、彼が本当に意識を失くしていたら? このまま地面に叩きつけられてしまったら?
 しかしシリウスが注意を逸らしていた一瞬の隙に、展開はやはりいつも通りになっていた。
グリフィンドールの勝利を告げる審判の声。観客の大歓声と熱狂。
そして彼の右手に握られた輝く金のスニッチ。
「でも、もう少しやり方ってものを考えてくれてもね。見てるこっちは持たないよ」
 ここがさ、と言ってトントンと心臓を叩くリーマスにシリウスは無言の肯定を返した。




 だが、ジェームズ・ポッターは何故自分が責められるのかということを 理解している様には見えなかった。 彼の言い分を聞けば、勝ったからいいじゃないかということだったが、 当然そんな理由で納得するようなシリウスではなかった。 やり方が問題なんだ、とか、そんなの僕の勝手だ、 とか喧嘩ごしで聞こえてくる声を右から左へと聞き流しながらリーマスは 1人黙々と本を読んでいた。
 「誰にでも出来る呪いのかけ方」というタイトルに惹かれて 書庫から引っ張り出してきたのだが、これが結構面白い。 ジェームズにも薦めようと思い、だが喧騒がさらにエスカレートしているのを見て 賢明にも声を掛けるのを控えた。
 しかし事態はリーマスが首を突っ込まなくてもさらに悪化の一途をたどっていた。
がっ、と何かを叩く様な鈍い音、続いて椅子が転倒する派手な音が聞こえた。 さすがに気になって振り返ったリーマスは、 椅子から転げ落ちているシリウスと拳を握って立ちつくしている ジェームズの姿を見ることになった。
「‥‥ジェームズ」
 殴られた頬を押さえてシリウスが険悪な声を出す。
しかし、言われた当人はまったく怯んだ様子もなく不遜に言い放った。
「僕は謝らないからなっ!」
 吐き捨てる様に言葉を叩きつけるとジェームズは扉を乱暴に開けて部屋を出ていく。 廊下の足音が遠ざかっていくのを聞きながらリーマスはシリウスの傍に座りこんだ。
「痛い?」
「‥‥‥痛い」
 2、3日は腫れが引かないかもね、と言うとシリウスは深々とため息をついた。




 しかし彼らの思惑とは裏腹に実際のところはジェームズ自身、 自分が責められる理由を理解していないわけではなかった。 理解できないのはどうしてそんなに怒られなければならないのかということだった。
 まさか僕がしくじるとでも思っているのだろうか?
だとしたら大層な侮辱だ。箒の扱いで自分の右に出るものなどいないと言うのに。
 苛々とした感情のまま、近くにあった椅子を思いきり蹴りとばす。 ガタンという音がして誰かの使い魔のカエルが逃げだしていくが、 腹立たしさのあまりそんなことにも気付かないほどだった。

 普段は人が賑わっているグリフィンドール談話室も、今はジェームズしかいない。 数刻前までは何人かの生徒がいたのだが、 傍から見ても不機嫌だと分かる彼が入ってきてからは皆コソコソと逃げ出してしまった。 もはや誰もがこの一見大人しそうな少年が学校一の問題児だということを知っている。 下手に関われば災いの火の粉が自分の身に降りかかるということもすでに常識だった。
 誰もいない静かな部屋でジェームズは再び思考を潜らせる。
今日の試合を反芻し、地上すれすれでスニッチを取った瞬間を再現する。
 彼らはあの感覚を知らないのだ、とジェームズは思う。
重力に逆らわずに身を任せる行為の楽しさを知らないからそんなことが言えるのだ。
体中の力を抜いた瞬間に自分以外の何かに全身が侵食されていく。 指一つ、髪一本でさえもそれに逆らえない。 全身を見えない意志に絡め取られ何も出来ないまま落ちていく。 そうやってギリギリまで力に従順なフリをして、最後にすべてを裏切る。 全身にうけたしがらみを自分で断ち切る時のゾッとする程の高揚感は何ものにもかえがたい。
 魔法使いは、あまりにも飛ぶことに慣れすぎてしまっている。
今ではもう誰もが当然の様に箒を扱い、それを疑うものはいない。
 だがジェームズにはそれが理解出来ない。
初めて飛んだ時の強烈な印象を忘れることが出来ない。
どうしてそれを当たり前だと?
こんな夢のような出来事を、なぜ不思議に思わない?
彼らは、自分たちが本来飛べない存在だということを忘れてしまっている。 何もかも忘れて己が、地に縛りつけられ空へ思いをはせた者だということを 思い出すこともしない。
 危険だって?
当たり前だ。それは得られる報酬に対して払う対価なのだから。 自分はそういう命の危険と引き換えにしてしか手にすることの出来ない種類のものを欲しているのだから。
 だがそれだけの価値はあることだ。現に自分は誰よりも飛ぶことに関して優れている。

なのにどうしてそれを、よりにもよって最も僕に近い者が理解しないのだろう。


それがまた、一層腹立たしく思う原因なのだった。






「ここ、いい?」
 上から緊張感のない間延びした声が降ってくる。 校舎と立ち入り禁止の森との境、欝蒼と茂った森の片隅がジェームズの午睡の定位置だった。 ここを知っているには自分だけだと思っていたんだけどなと考えながら視線だけをリーマスに送る。 返事がないということは了承の証と言わんばかりにリーマスは寝転がったままでいる ジェームズの隣に腰を下ろした。
「怒ってるの?」
「‥‥‥」
 何を、とは言わなかったが、何のことを聞いているかは明らかだった。
すでにシリウスとの喧嘩から一週間がたつ。 向こうが何とかして関係を修復しようとしているのを余裕でかわしながら今日まできた。 日に日に生活態度が荒れてくるシリウスと、表面上はまったく変わったように見えないジェームズ。 対照的な2人を飽きずに見ていたリーマスもそろそろ仲直りをしてくれないだろうか、 と心配し始めた。
 だが、遠まわしなやり方が自分には出来ないことは分かっている。 だから何がそんなに気に入らないのかを直接本人に聞くことに決めたのだ。 他の誰かがこの場に居れば、「そんな命知らずなことはやめろ」というところだったが、 生憎ここにいるのは二人だけだった。
 しかし、リーマスはジェームズが自分に甘いのを知っていた。
だから案外あっさりと彼が自分の心情を吐露した時も意外だとは思わなかった。 むしろ意外だったのは彼の話した内容だった。
___________________ 不思議な考え方をするんだね
 ジェームズが当たり前の様に話すその内容は 決して一般に受け入れられる考え方ではない。それは彼の独特な世界観で構築された 不思議な考えだとリーマスは思った。 彼の見ている世界は驚くほど広く、それは一種の才能と言えるほどだった。
 ひどく手前勝手で主観的で。それだからこそ見られる世界があるのだと思う。 きっとジェームズは資格のある側の人間なのだ。 多くのものをその手に掴みとれる数少ない種類に属しているから。 彼が際立って強い個性を持つのも、呆れるほど世間に反発するのも、 他人には分からない苛立ちを感じるのも ___________________ それでも足掻くのを やめられないのも ___________________ そのせいだろう。
 人が知らないことを知り、手に入れられないものを手にする。 だからよけいに歯がゆく感じるに違いない。


でも、彼だって知らない。
他の者が容易く理解できるのに、彼だけが理解できないことがある。


「侮辱だよ、僕を信用しないなんて」
 苛立たしげな態度を隠しもせずにジェームズが言う。 その姿を横目で眺めながらリーマスは彼特有のひどく達観した眼差しをジェームズに向けた。
「うん、でも‥‥きっとそういうのとは違うんだよ」
 その声音がいつもと違うのに気付き、ジェームズは彼の方を見る。 だがリーマスは相変わらず穏やかな視線を向けたままだった。
「怖いとか心配とかは普通の状態じゃないんだ。 だってそれは感情的なことで、自分ではどうにもならないことなんだよ」
 本当に、自分ではどうしようもないことなんだ、と最後は自分に呼びかけるように言う。
「おまえも試合を見て怖いと思ったのか?」
「うん、思った」
 即答され、ジェームズは憮然とした表情になる。
それをにこにこと眺めながらリーマスはだってね、と言葉を続けた。
「だってキミは自分を省みないから。いつでもそうだから。 そういうのはね、怖いよ。誰だって、 どれだけ経験したって失うことには慣れないから‥‥特に、」
___________________ シリウスはそうだと思うよ
「彼は特に慣れてない。大切なものを失くすのには全然慣れてない。だからよけいに怖いんだ」
 それは、知っている、とジェームズは思ったが口を挟むことはしなかった。 何故だか普段はあまり自分から語ることのない友人が 珍しく饒舌になっているのを中断したくはなかった。
「見てられないよ。キミがさ、無茶なことをする度に隣で真っ青になってるんだ」
本人に自覚はないと思うけどね、と笑いながらリーマスは言う。
「彼らしくないと思わない?やっぱりちょっとぐらい自信家で格好つけの方が似合ってるよね」
同意を求める様にこちらを覗き込んだリーマスにジェームズは肩をすくめた。


 それからしばらくの間ジェームズは無言だった。 それはどちらかと言えば心地いい種類の沈黙だったので、 リーマスも無理に逆らおうとはしなかった。
 隣に視線をやると、彼は物憂げな表情のままかたく瞳を閉じている。
__________________________ 難しいよね
自分と相反するものを理解するのはとても難しい。




だが、ジェームズは諦めないだろう。
存外素直な性分なのだから、とリーマスは苦笑した。








ポイントは何気に手厳しいルーピン先生。
ちょっと長くなったので前後にぶったぎってみました。 犬鹿展開は次に持ち越し〜。



戻る