「分かりやすく言えばね、仲直りしてねってコトなんだ」
「それにしては随分と回りくどい言い方だったな」
それはジェームズがよく言う種類の嫌味ではなく、幾分呆れが混じりつつも本心からの言葉だったのでリーマスはそうかな、と照れ笑いを返した。それを見たジェームズは立ちあがって背を向ける。もう帰る、と一言だけ言うとその場を立ち去ろうとした。
「シリウスね、自分の部屋にいるよ」
背後に言葉を投げかけるとはいはい、とぞんざいな口調で手をひらひら振って返される。それでもジェームズは彼のところへ行くのだという確信があって何故だかリーマスは嬉しくなった。
一週間ぶりにまともに見た彼は随分と疲労しているようだった。
普段から鋭い眼光はさらに凄みを増して、気弱な者なら姿を見ただけで逃げ出しそうだとジェームズは思った。だが、もちろんジェームズ自身は彼に対して何の怯えも感じたりはしない。むしろ嘲笑うかのような笑みを浮かべて正面からシリウスを見据えた。
それでも、そんな感情に気付かないわけでもないのにシリウスは少しだけ安堵の表情を浮かべたように見えた。
ジェームズには理解できなかったが、実際シリウスは安心していた。今まではろくに視線すら合わせていなかったのだから、たとえ挑むような視線でもやっと自分を見たことにほっとしたのだった。
しかし、その安堵感だけですべてを水に流せるほどシリウスは大人ではなかった。
「ジェームズ‥‥」
苛々した声で名前を呼ばれると先程まであった穏やかな気持ちが一瞬で刺々しいものに変わる。それはひどく攻撃的で禍々しい残忍さを含んだものだった。そういうモノは常なら表に出ることはない。自分の暗い部分に根を生やして蹲っているだけのものにすぎない。なのにこんなにも簡単に抑制が外れてしまう意味をジェームズ自身でも計りかねていた。たぶん、もっと深く考えることをすれば自分の本意ではない部分に気付くこともあったのだが、幸か不幸か短気な友人はそれをさせてはくれなかった。
「話ぐらい聞けよ」
言葉にすると思ったよりも喧嘩腰の口調になっているのにシリウス自身も戸惑った。これでもかなり抑えたつもりだったのだが、当然そんなことはジェームズに伝わるはずもない。
「必要ないね、また僕に文句でも言う気だろう?」
そんなもの聞きたくない、と言外に匂わせてジェームズはシリウスを睨めつけた。
「 ___________________ このっ‥‥」
腕を掴もうとした手を痛烈に振り払われ、カッっとなったシリウスは彼の両肩を掴んで勢いをつけたまま壁に叩きつけた。痛みでわずかに顔をしかめるジェームズを見てかろうじて残っていた彼を気遣う気持ちが痛んだが、次の瞬間激しい怒気を見せた瞳に思わずたじろぐ。
「離せっ!」
凛とした声が響く。有無を言わせない響きに従ってしまいそうになる心を何とか無視して加えた手に力を込めた。
もうこうなったら形振りなど構っていられない。暴れるジェームズを無理矢理押さえつけておとなしくさせようとするが、相手も死に物狂いで抵抗してくる。力加減もせずに頭部を殴られ、反射的に彼の頬を殴りつけた。反動で床に投げ出されたジェームズだったが、すぐに起き上がり身構える。
___________________ こんな風にしたいわけじゃないのに
互いに息をきらせて向かい合いながらシリウスは自己嫌悪に陥る。
こんな風にしたいわけじゃない。こんな手荒なことがしたいわけじゃない。
本当はもっと ___________________ もっと‥‥
「頼むから話を聞いてくれ‥‥」
懇願の言葉は、確かに一度だけジェームズの動きを止めた。その隙を逃さずにシリウスは手を伸ばす。再び彼が暴れだすより早く、その腕を掴んで勢いよく引き寄せると、倒れる様にして寄りかかった体を乱暴に抱き寄せた。
「 ___________________ ‥‥」
何も考えずに、脳裏に浮かんだ言葉を腕の中の人物に囁いた。だが、それは本当に小さな声だったのでジェームズの耳には届かなかった。
「‥‥何?」
訝しげにジェームズが問うが、それには答えず抱きしめた腕に力を加えた。
一度、口にした言葉は明確な意味を持ってシリウスの内部に浸透していった。
水が大地にしみ入るようにゆっくりと彼の内側に入り込んでいった想いを何度も反芻する。
シリウスにとってそれは当然の事だった。
そうでなかった時も確かに存在したのだが、
今ではもう思い出せない。
「 ___________________ 大切だって言ってるんだ」
再び、今度はジェームズにもはっきり聞こえるように声に出す。
いつも好き勝手ばかりしている彼も嫌いではないけれど、そんなところに惹かれたのも事実だけれど、それでも不安は拭いきれない。
我儘ばかり言うのにはもう慣れた。今さらそれを止められるとは思わないが、自分のどうにもならないところで無茶をするのはやめてほしい。隣で、共にいる時ならどれだけ勝手でもいいから。そういう時の我儘ならいくらでも聞くから。
傍にいればどんな風になっても守りきれる自信はある。何を引きかえにしても決して孤独にはさせないと言い切れるだけの覚悟も持っている。
でも自分の手の届かないところでは。先の試合の様に見ているだけしかできない時に、
そんな時に何かあったらと考えるとたまらない。
「痛い‥‥」
腕の中から小さな声で抗議が上がる。その思ったより弱々しい声を聞いて慌てて力を抜くと、するりとジェームズが抜け出した。だが、逃げ出す風でもなくじっとシリウスを見ている。少しばつが悪そうに視線をそらしたシリウスは次の瞬間容赦のない勢いで引っ張られた髪に思わずうめき声を上げた。
「僕を見ろ」
ジェームズは片手で髪を掴んだままシリウスを見上げていた。瞳を逸らさずじっと覗き込む、その妙に真剣な表情を見せられてシリウスも彼の双眸を見返した。
「いつだって、おまえしか見ていない」
しかしジェームズはあっさりそのセリフを否定した。
「フン、嘘つきめ」
「っ‥本当だ‥‥」
言葉を遮るようにしてジェームズはシリウスの髪に絡めた手を乱暴に引きよせ唇を重ねた。噛み付くような口付けに気が狂いそうなほどの情動を呼び起こされ、すぐにシリウスも抗うことなくそれに答えた。
何日かぶりの互いの感触は思ったよりずっと刺激的で、二人は容易くその感覚に溺れた。角度を変えて繰り返し重ね合わせる。
それは以前に何度も行なった行為の前のものと何ら変わりはなかった。性急な求めも、意外に熱い内面もいつもと変わらず、シリウスはゆっくりと彼の存在を確かめた。
「‥‥んっ」
甘い声が漏れ、シリウスの髪を掴んでいた手から力が抜ける。離れようとするのを拒むようにジェームズの片手を取り自分の手と絡ませ、シリウスはもう片方の手を彼の背後に回し体を支えた。
こうしていると、もう何に対して怒っていたのか忘れてしまう。直前に交わした会話すら思い出せずに頭の中が真っ白になっていく。
でもそんなことはどうでもいい。
今はもう、この快楽を追い求めることだけしか考えたくない。
口付けた時と同じくらい唐突に体を離される。シリウスがいぶかしむ間もなく、ジェームズは彼の襟元に片手をかけて器用にボタンを外しはじめた。半ばまで外し終えると今度は自分の襟も崩す。晒された肌に惹かれたシリウスは、その感触を味わうために手近なソファーにジェームズを押し倒すと彼の首筋に唇を這わせた。
シリウス・ブラックは自分が変なところで冷静なのを憂鬱に思う時がある。今回もそうだった。慣れた手つきでジェームズを煽りながら、何故か頭の片隅で次の授業がもうすぐ始まるということを思い出し、その途端に激しく後悔した。しかし、一度思い出してしまえば後はサボった後の説教や宿題などが脳裏をちらつく。それに子犬みたいにコロコロしたイメージの友人が(実際は犬などという可愛いものではない上に、犬は自分の方なのだが‥‥)1人ポツンと授業を受けている姿は、見た目より案外義理堅いシリウスにとってキリキリと心が痛む問題だった。
覆いかぶさるようにして重ねていた体を離し起き上がると、一心に感覚を追っていたジェームズが胡乱気に目を開いた。
「‥‥‥しないのか?」
不満そうな声で問われ、決心が揺らぐのを感じながらもシリウスは首を振った。
「誘うな、押さえがきかなくなる‥‥」
1週間触れてなかっただけでも限界に近い。このまま最後まで流されてしまいそうになるのをどうにか残った理性で押さえ込んでいるというのに。
「別にいいだろ?僕がいいって言ってるんだから」
「授業が始まる。サボる気か?」
「‥‥それもそうだな」
あっさりと引き下がり、手早く乱れた服装を正すジェームズにシリウスはこっそりため息を漏らした。
___________________ 本当に、あっさりしたもんだ
自分で断っておいて何だが、もう少しくらい惜しんでくれてもいいのにと身勝手なことを考える。しかしまあここで粘られるよりはいいかと考え、それでも釈然としないものを感じながら、もうすっかり身支度を整えたジェームズを見やった。
彼はここに長居をするつもりはないらしく、すでに扉に手をかけて出ていこうとしている。その姿からはさっきまで自分を誘っていたことなど想像も出来ない。そういえば、彼の第一印象は「優等生」だったなと思い出した。見た目と中身のギャップにひどく驚いたことは今でも鮮明な記憶として残っている。
扉がギィっと古めかしい音を立てた。そのまま出て行こうとしていたジェームズが思い出したように降り返る。途端に当たり障りのない表情が消え、人の悪い高慢な笑みが広がった。
「今夜そっちに行くから」
挑発するような視線を一度だけ交わらせると返事をする間もなく踵を返す。
目の前で閉じられた扉に唖然とした表情を見せたままシリウスはがくりとソファーに沈み込んだ。
結局、問題は何一つ解決していない。
彼が無茶を止めたわけでも、自分がそれを容認したわけでもない。
これからもジェームズの勝手を傍から眺めて命を縮めるような日々が続くのだ。
いつもの通り、彼に振り回されたまま。
___________________ 今夜は覚悟しておけよ‥‥
と、彼にしては陰気な仕返しを企ててシリウスは自分もマントを羽織った。
衣服を正して廊下に出ると、すでに彼はずいぶんと遠くまで行ってしまっていた。待ってるとか考えないのかアイツは、と無駄なことを考えながら(しかし、自分でも無駄だと判断できるだけの自覚は持ち合わせていた)螺旋階段を軽い足取りで下りていく姿を上から眺めると、特徴のある黒髪がひょこひょこ動いていく様が見えた。
途中で同寮の友人を見つけたのか持っていた本を高々と振り上げる。彼の言うところの「挨拶」とやらをするのだと気付いた時には可哀相な人物はすでに頭を抱えて蹲っていた。人事ながら同情しつつ、しかしそんなことをしても彼には奇妙な人望があることに不思議な気分になった。今だって殴られた本人はもうそのことを忘れたみたいにジェームズと会話をしている。
そうして誰もが彼に惹かれていく。
そういうのは、天性のモノなのだろうか、とシリウスは思った。才能は、ある。人格も(多少破綻ぎみだが)悪くはない。自分たちの様な人間はああいう圧倒的な存在感にのまれてしまうのかもしれない。
自分の想いもそういう感情の延長線にあるのだろうか、と考え、それこそ無駄なことだと思った。そんなことは考えたところでどうにかなるものではない。
ただ、未だに自分の気持ちが掴みきれていないジェームズとは違い、シリウスの方はもう覚悟を決めていた。この想いがどこへ行こうが、何になろうが、それに命だろうと運命だろうと何だって賭すつもりだった。それほどのものだと信じていたし、それを疑う余地もない。意外なほど純粋に彼を欲しがる自分に気付いてしまったから、もう後を見ることをしても何にもならないのだと諦めにも似た気持ちで理解していた。
眼下を眺めるとジェームズが楽しそうに談笑している。
気楽な奴だと思いながら、ふと、自分と喧嘩をしてからは彼があんな風に笑っているのを見たことがない事に気付いた。気のせいかもしれない、と思いながらも浮かれる心を抑えることができない。
「ま、もうしばらくはな」
このままでもいいかもしれない、とげんきんにも思い、そしてやはり自覚はなかったがこちらも久しぶりの不敵な笑みを浮かべながらシリウスは彼の後を追った。
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