「 後悔 」

/ 終    《 戻 》





_________________ それで?」
 頭上からかけられた声に視線だけを移し、それでとは?と問いかけようとして、 先に自分が言おうとしていた事を聞かれていたのだと思い当たる。
「ああ、うん‥‥あのさ」
 余韻からも覚めつつあった体をひょいっと起こしたジェームズは、 シリウスの腕の中から抜け出した。離れる瞬間、 背を支えていたシリウスの腕が惜しむように動いたが、その腕がジェームズを捕らえる よりも早く床の上へと身を移動し、散らばった衣服を身に付けながら「頼みがあるんだ」 と口にした。
「頼みって?」
 また無理難題じゃないだろうな、と苦い顔をするシリウスに失礼だなと笑いながら答え、 その後に些か表情を真摯なものに改めてシリウスの瞳を覗き込んだ。
「僕に剣の稽古をつけてくれよ」
 意外な事を言われたようにシリウスの瞳が大きく開かれる。 角度によって微妙に違う青色を映し出す瞳孔が深遠な色を覗かせたので、 ジェームズは何か宝物でも見るような気になって凝視した。 しばらくはそうして色彩を楽しんでいたジェームズだったが、 不自然な沈黙の長さに訝しげな視線を送る。 するとシリウスは苦い表情を保ったまま恐る恐る口を開いた。
「おまえもしかしてそれが目的で‥‥」
 言葉は途中で切られたが、何を言わんとしているのかは明白だったので苦笑を返した。
「何言ってんだい?そんなワケないだろう?」
 自分が伊達や酔狂で彼に抱かれているとでも思っているのだろうかとジェームズは呆れる。 よく考えれば何だか侮辱されたような気もするが、そうか、そうだよな、 と安堵の表情でぶつぶつ言い出したシリウスを見ると咎める気はどこかへ失せてしまった。
 まだ半日も経っていない時間へと記憶を遡らせ、目の前にいる彼のその時の姿を思い出す。
「今日のはさ‥‥」
 記憶の残滓に笑いがこみ上げる。そして一度言葉を区切り、どこか悪戯めいた光を浮かばせた。
「キミが格好良かったからだ」
 手を差し出し、顔の横へ無造作に流れ落ちる髪を一房掴むとそれに唇を寄せた。
 あの時もそうだった。この髪が日の光の中で散り、それがとても綺麗だと思ったのだ。 普段はどちらかというと自分で意識して格好をつけたがる彼だったが _________________ まあそれも、それなりに様になってはいるのだが _________________ 今日のはいつものそれとは違ってもっと自然でさり気なく、 それ故に心を強く惹きつけられるものだった。
 見惚れたよ、と耳元へと囁く。そして再び髪へと慰撫するように唇を落とした。
_________________ ジェームズ‥‥」
 自分の名を呼ぶ声に多少震えが混じっている。 こういう台詞には弱いと知っていてあえて口にしたのでそれは予想範囲内だった。 芝居じみた、それでも本心も含まれている言葉は相手を陥落させるには容易い。 ジェームズは自分の利己心と、それだけではない複雑な気持ちのままシリウスの 髪に口付ける行為を続けた。
 了承の答えがもらえる事を確信していたといっても過言ではない。 こういう場合にシリウスが否と答えることはなかった。 もちろん中には幾度かの例外も含まれてはいたが、それでも否定の答えを返されることは ごく稀だった。だから今回もそうであるとジェームズは思っていたし、疑いもしなかった。
 しかしシリウスの返した答えは意外なものだった。
「‥‥その頼みは聞けない、かな」
_________________ ‥‥何で?」
 今度はジェームズの方が目を見開く番だった。きょとんとした表情で顔を上げると、 シリウスがばつの悪そうな顔をしてジェームズを見た。理由は言いたくない、 という顔をしているのは充分見て取れたが、ジェームズは追及の手を緩めなかった。
「何で?」
 もう一度問いを繰り返すとシリウスは諦めたように溜息を何度か繰り返し、 ようやく聞き取れる程度の声で一言呟いた。
「おまえオレより上手くなりそうだから」
 口に出すには少々情けない内容だったが、プライドの高いシリウスにしては随分と譲歩して 素直に答えたものだと思う。一方ではそういう妙に客観的な評価をしながらも、 実際には聞いた途端にゲラゲラと情け容赦なく笑い出していた。
 そんなジェームズの態度は、当然ながらシリウスにとってはかなり不本意なものだったので _________________ しかし一方ではそうくるだろうなと予想はしていたので、シリウスは思わず舌打ちをした _________________ むっとする。笑いが発作のように治まらないジェームズを見ながら 「いいじゃないか、何かあったらオレがどうにかしてやるのに」というような趣旨の台詞を呟いた。 彼の随分と不満そうな表情に、一通り笑い終えたジェームズは幾分表情を和らげた。
「守られるのは僕の性分には合わないよ」
「そうだとしても! _________________ オレはそうしてやりたいんだから‥‥」
_________________ 守られるね‥‥
 それもいいのではないだろうかと一瞬脳裏を過ぎったが、 すぐにジェームズはその考えを打ち消した。冗談ではない、 と奥の部分から今の思いをめちゃくちゃに否定するような感覚が持ち上がってくる。 シリウスと剣を交えた時に感じた思いと同じそれ _________________ 本能を _________________ 今度は否定することなく受け入れた。
 こればかりは譲れないんだよ、と声には出さずにジェームズは呟いた。
「強くなりたいね」
 口をついて出た台詞は自分でも思ったより切実に聞こえて、 ジェームズ自身が意外に思う程だった。だからもちろんシリウスはもっと驚いたに違いない。 そう思い彼の方を見ると、案の定驚いたような表情を浮かべていた。
「強くなりたい」
 もう一度、確かめるように言葉にした後、心の奥底にある触れるのも躊躇われるような 記憶にジェームズは久々に思いを馳せた。以前に比べると随分と楽になったが、 それでも未だ痛む事に変わりはない。
 どうして傷というものは完全に癒える事がないのだろうと不思議に思う。 普段は意識もしないのに、それに思いを巡らせる度にじくじくと疼き出し、 同時にあまり自分のものとは認めたくない性質の暗い翳りが心中をめぐった。 こんなもの、早くなんでもないと言えるようになればいいのにとジェームズは思ったが、 それでもなかなかそうはいかないのが現状だった。感情のコントロールは _________________ それが負の感情であれば尚更 _________________ 効かないものだった。
 それでも日増しに風化していく傷跡を自覚する度に、まだ時間が足りないだけなのだろうかとも 思う。もっと長い時間が経過すれば、いずれは忘れる事もあるのではないだろうか。
 強くなりたい、というのはもうずっと以前からの願いだった。 二度と自分の大切なものを無遠慮な他人にあけわたすつもりはないと、 理不尽に奪われたすべてのものを取り戻してからもジェームズはそう思っていた。 今ではそれは強迫観念に近い思いかもしれない。だからジェームズにとって守られるという 受身で自分の意志の介在しない選択はありえなかった。シリウスを信用しないわけではないが、 自分ではない者にの運命を委ねるのは自身で言った通り彼の「性分」ではなかった。
_________________ シリウスには、わからないんだろうな
 いつだって最悪の場合を年頭に置いている自分の考え方は、 愚直とも言える程に真直ぐで穢れのないシリウスには理解できないに違いない。 それを非難するわけではない。むしろ正しいというなら彼の方なのだろう。
 おかしいのは自分だと、ジェームズは思った。 だが、一度焚き火で火傷を負った獣が二度と過ちを繰り返すまいと炎に近寄らないように、 ジェームズも二度と辛酸を舐めるつもりはなく、そのために出来るありとあらゆる手段を 貪欲に欲していた。
_________________ 二度と‥そうだ、僕は二度とは‥‥
 二度とは耐えられないとジェームズは思う。暖かく、安らげる場所を知ってしまった自分は、 きっと二度目は耐えられないに違いない。限界まで疲弊し、自身と折り合いをつけながら、 生きていくためだけに膝を折る事はもう出来ない。
 そのためには強くならないと _________________ と、結局のところ思考はそこへと戻って行くのだった。
「だからね‥‥」
 頼むよ、と言うと、何かを察したのか、それともただの気まぐれなのかは知らないが、 シリウスは何も答えなかった。ただ、複雑そうな表情を浮かべてジェームズの腕を取り、 自分の側に引き寄せた。倒れるようにして身を持たせかけると、軽く羽織るようにして着ている シャツの上から少しだけ汗ばんだ肌の感触が伝わってきた。
 こういうのが彼なりの了承の証だというのはすぐに理解出来た。 礼を言おうとしたが、億劫だったので体を預けたままじっと体を寄せて彼の鼓動を聞いていた。
 ふいにシリウスの感傷的なところが移ったように、ジェームズ自身も常にはない切ないような、 満たされるような気分に陥った。
 愛しているのだ、と。
 今なら言えそうだとジェームズは思った。しかし、それを言葉にする事はなかった。 理由は自分でもわからないような曖昧としたものだったが、あえて追及しようとはしなかった。
 掴まれたままの腕が温もりを伝えてくる。それさえ感じられれば満足だとジェームズは思った。 少なくとも今は他に求めるものは何もなかった。
 だから心地良さと気だるさに負けてジェームズが寝入ってしまった後に シリウスが口にした台詞をジェームズは聞けなかった。
_________________ それでもオレはおまえを守るつもりだから
 と、切なさと決意が入り混じった台詞は、はからずも一生彼を責め、 苛む後悔を秘めることになるものだったが、シリウスはまだ何も自覚のなくそれを呟いた。 聞かれることなかった台詞は、彼自身がこの日の事を思い出す十数年先の日まで誰にも届くことなく 虚空へと消えていった。






/ 終


 軽い話にする予定が‥‥い、いつの間にこんな話に?



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