麻縄で一つに束ねられた藁を両手いっぱいに持つと、僕の視界は枯れ草色以外の何も見えなくなった。
顔や首筋など肌の現れている部分に藁の先があたり軽い痛みが走るが、納屋まで運ぶ間の我慢と思い、
無視をすることにした。納屋の入り口まで来ると足を止める。そういえば先に戸を開けておこうと
思ってすっかり忘れていたことにようやく気が付いた。一度藁を下ろして戸を開ける。
昼間とはいっても締め切られた納屋は薄暗く、僕は入り口にあったランプをつけた。
小さなが炎が周辺を照らして少しだけ明るくなった小屋の中へ、
もう一度さっきと同じ苦労をして藁を運び込む。
「これで最後かな‥‥」
同じように無造作に束ねられた藁の束の数を数えると丁度ぴったりだったので僕は満足して踵を返す。
入り口まで戻るとランプの炎を吹き消し、外に出た。
日の光が暗闇に慣れた瞳を焼く。目を細めて太陽を仰ぐとそれはキラキラと宝石のようにまぶしく、
暖かい。僕は太陽が好きだった。薄暗いところにある月なんかよりはずっと好きだった。
だから今日もこうして太陽が拝めるだけでとても幸せな気分になれる。
ふいに、視界の端に黒い影が過る。視線をそちらに向けると黒い大きな獣の影が見えたが
それはすぐに姿を消した。
「あれは‥‥」
一瞬だけ見えたその姿は神話に出てくるグリムのようだった。だが僕はその考えを打ち消す。
そんなものがこの世にいるわけがない。きっと野犬か何かだろう。
放牧してある馬たちを小屋へ戻さなければ、と考えながら僕は自分の家へ戻っていった。
翌日、僕はまた束ねられた藁を目の前にしてどれから運ぼうかと考えていた。
束ね方によって微妙に持ちやすいのと持ちにくいのがある。
結局どれも運ばなければならないので同じことなのだが、先に楽をするか、
後に楽をするかは僕にとってはかなり重大な問題だった。
最終的に最後に楽をすることにしようという考えにまとまり、僕は他の藁より少しだけ持ちにくい
藁を両手に抱えて歩き始めた。納屋の前まで来ると、僕はまたしても自分の失敗に気が付く。
昨日と同じく、納屋の戸が閉まったままだったのだ。
「あーあ、またやっちゃったよ‥‥」
「何を?」
独り言のつもりで言ったのに、思いがけなく返事が返ってきたのでびっくりして
声の聞こえてきた方を振り返る。そこには黒髪の少年が腕を組みながら立っていた。
柵に体を預けて身を乗り出しながら、珍しいものでも見るように眼鏡ごしの大きな瞳で
まじまじと僕を見ている。
「ねえ、キミここの戸を開けてくれない?」
ためしに頼んでみると彼はいいよ、とあっさり了承して柵を飛び越え
(それがまたものすごく身軽で僕はとても驚いた)納屋の戸を無造作にあけた。
僕はありがとう、と言って中へ入る。しかし、やはり昨日と同じく足元が暗かったことに気付いた。
彼にもう一度頼めるだろうか、それとも初対面で何度も頼みごとをするのは失礼だろうか、
と考えているとふいに視界が明るくなった。
「これでいい?」
背後から彼の声が聞こえる。ランプをつけてくれたのだと気付き、僕は再びありがとう、
と声をかけた。所定の位置に藁を置き、入り口へ戻ると彼は納屋の外側で残りの藁を
持ってきてくれていた。僕は驚いて彼を見る。すると彼は首を傾げた。
「あれ?これって運んじゃダメなヤツだった?」
「あ、ううん、違うの。これも運ぶやつなんだケド‥‥」
藁の束は全部で十数個もあったのに彼一人でここまで運んだのだろうか?
でも僕とあまり変わらない背丈の彼ではせいぜい1個で手一杯、
どれだけ無理をしても2個以上は運べないだろう。
それも1分とかからないうちに全部をここまで運ぶなんて。
不思議そうな顔をしている僕に彼はニヤリと悪戯っぽく笑う。
「オマエ草まみれだな!」
確かに、小さな藁屑が服のあちこちについて僕は草まみれだった。
後で取るのが大変なんだよねと思い、そういえば彼の服にはまったく草が付いてないことに気付く。
「どうやってこれを運んだの?」
「効率のいいやり方ってのがあるんだよ」
軽く笑い飛ばされたので、僕はそういうものなのかと思いながら残りの藁を納屋の中へ運んだ。
彼はその間中ずっと面白そうに僕の作業を眺めていたので、何だかサーカス小屋の動物にでも
なったような気分だった。
すべてを運び終えて時間を見ると、いつもより随分早く片付いていた。
なんだか彼のおかげでかなり助かったなあと考えながら納屋を出るためランプの明かりを
消そうとすると、不思議なことに明かりはすでに消えていた。周りを見回すと、
いつの間にか先ほどまでの明るさはなくなっている。いったい、
いつ消えたのだろうともう一度ランプを眺めていると納屋の外から彼が僕に声をかけてきた。
「終わったー?」
彼の間延びした声に僕はすぐにその疑問を忘れて終わったよと頷き、
外で座り込んでいた彼のところまで行って声をかけた。
「ねえ、キミ今日の夕食僕のところで食べていかない?」
もしよかったらでいいんだけど、と言うと彼はにこりと笑いながら「喜んで!」と返事を返した。
そんな彼の笑顔を見ながら、僕は何だかこの少年がとても好きみたいだと思った。
そしてようやくまだ自己紹介もしていなかったことを思い出す。
「そういえばまだ名前言ってなかったね」
僕は自分の名を名乗った。
ジェームズ、というのがその少年の名前だった。
歳は僕と同じで、ここには家族と旅行で来ているのだそうだ。
どうりで、と僕は思う。彼の着ている全身を覆い隠す黒いマントは
どう見てもこの地方のものじゃない。
ジェームズは夕食に出したステーキを全部たいらげた。
少し多めに作ったつもりだったので僕はびっくりして彼の体調を心配したが、
ジェームズは「全然平気」と言い切った。実際、彼はまったく平気そうだったので
僕はどうしてこんな細い体なのにあんなにも食べられるのだろう、と不思議に思った。
夕食後、僕たちはたわいもないお喋りに興じた。
僕には同じ年頃の友達がいなかったので彼と話すのはとても楽しかった。
僕が彼に興味を持ったように彼も僕に興味を持ってくれたみたいで、いろいろ僕の話を聞きたがった。
だから僕は今一人でここに住んでいること、人の多いところは好きではないので
こんな街外れに住んでいること、生活は今日みたいに畑の仕事をして細々と暮らしていること、
将来は学校の先生になりたいことなど、今まであまり人に話さなかったことをいろいろ話した。
ジェームズはその一つ一つを興味深そうに頷きながら聞いてくれた。彼はとても上手い聞き手だった。
楽しい時間というのは本当に早く過ぎていくものだ。
あっという間に何時間も過ぎて、ジェームズはそろそろ帰らないと、とマントを羽織った。
僕は泊まっていけばいいのにと思ったけど、彼の帰りを待っている家族のことを考えると
そういうわけにもいかないと思い直して戸口まで見送った。
「ここを真っ直ぐ下れば街へ出るから」
「ああ、わかった」
少し紛らわしい細道があるから地図でも書こうか、と言った僕に、
ジェームズは手をひらひら振って大丈夫だと言ってみせた。
「ごめんね、本当は途中まで僕が送ってあげればいいんだけど‥‥」
そういって僕は戸の隙間から漏れる三日月を眺める。
「僕、月が怖いんだ。理由はよく分からないけどすごく怖くて」
馬鹿にされるかな、と思って恐る恐るジェームズを見ると彼は妙に真剣な面持ちで僕を見ていた。
そしてふいに邪気のない笑みを浮かべて「誰にだって怖いものはあるよ」と言った。
僕は何故だかその言葉にとても安堵感を覚えた。
ジェームズが去ったすぐ後、僕は彼の座っていた場所に忘れ物のマフラーを見つけた。
慌てて後を追おうと戸を開けたが、そこにはもう彼の姿はなかった。
ジェームズが戸を閉めてからほんの数十秒の間なのに、
この見晴らしのよい丘のどこにも彼のいた痕跡はなかった。
「あ‥あれ‥?」
僕はしばらくの間呆然とその場に佇んでいた。
そして今日一日の不思議な出来事を思い出しながら、
もしかしたらジェームズは昔読んだ絵本の中に出てくるような天使様なのかもしれないと思った。
それにしては随分庶民的な天使様だなあと考え、
それが自分でとても可笑しく思えたので小さく声をあげて笑った。
ジェームズは忘れ物を取りにもう一度ここに来るかもしれない。
そんな期待を胸に描きながら、僕はその日、眠りについた。
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