ジェームズにも話した通り、僕は人の多いところが好きではなかった。
はっきりとした理由を問われると困るのだが、何となくわけの分からない息苦しさと
奇妙な焦燥感に駆られてしまうからどうしても好きになれないのだった。
しかし生活していくためには街に行かなければならないこともある。
だから僕はいつもの様に気が滅入りつつも出かける準備をしていた。
でも、本当のことを言えば今日街へ行くことはいつもほど苦痛じゃない。
だって、もしかしたらジェームズに会えるかもしれないから。
それがどれほど少ない可能性かは分かっているけど、どうせなら会えると考えていた方が
楽しみがあっていい。
彼が僕の家へ来たのは数日ほど前のことだった。あれから彼はここに来なかったので、
僕の手元にはまだジェームズの忘れていったマフラーがある。僕はそれを大切に袋に包んで、
長年使い込んでかなりくたびれている鞄の中に入れた。そして必要な荷物をまとめると家を後にした。
相変わらず街は騒々しい。
右を見ても左を見ても人だらけで僕は頭がクラクラしてきた。
しかしこんなに人が多い街なのに都市としては小さい方だという。
もっと規模の大きなものになると、こことは比べ物にならないほど人も物も多いらしい。
大都市、というのは僕にとっては想像もつかないところだ。
人の波に揉まれてあっちにフラフラこっちにフラフラ漂いながらやっとのことで目的の店へ着く。
僕はそこで家では手に入らない食料品や、雑貨などを買った。
顔なじみの店主がおいしそうなチョコレートをおまけにくれた。
街までお使いにこれたご褒美、だそうだ。小さな子供じゃあるまいしと僕はふてくされたが、
すぐに顔を見合わせて笑った。彼がとても良い人で、僕に善意でそうしてくれているのが
分かったからだ。街の人が皆、彼のような人ならもう少しこの街が好きになれるのに、
と思いながら僕はその店を後にした。
大通りを歩きながら僕はこれからどうしようか、と考えていた。用事は終わったので、
いつもならすぐに帰るところだったが今日はそんな気にはなれなかった。
肩から下げた鞄の奥にあるジェームズの忘れ物を布ごしに触りながら、
僕は何とかして彼に会えないものかと考えをめぐらせていた。
たぶん、そういう油断があったからだろう。僕はふいに人ごみから車道に突きとばされた。
こんな風に人が忙しなく行きかうところなのだから、ぼうっと考えこんでいてはいけないと
普段から注意していたのに、ついうっかりしていた。地面に倒れ込むのを覚悟して身を固くしたが、
倒れる直前、僕の体を誰かの手が支え、歩道に引き戻した。
その時、視界の端で捕らえたのは僕を支えている人物の特長的な黒い髪とマントだった。
だから僕は咄嗟にその人の手を思いきり掴む。
「ジェームズっ!」
息せき切って顔を上げると、それは僕の想像していた人物とは違っていた。
確かに着ているものは彼と同じ仕様のマントだったし、黒髪も似ていたが、ジェームズではなかった。
僕はしばらく彼をまじまじと眺めてしまい、それからはたと正気に戻った。
「ご、ごめんなさい、人違いでしたっ!」
「あ、ああ‥‥いや」
彼は面食らったように言いながら僕から視線を逸らす。それはそうだろう。
善意で助けた相手に突然違う名で呼ばれて掴みかかられたのだから。
僕といえば、まったく何て失態だと内心で自分を罵りながら、ただひたすら彼に謝っていた。
しばらくそうして謝罪していると、彼はもういいって、と言いながら
僕の頭をポンポンと優しく叩いた。僕はようやく顔を上げて視線を合わせる。
「あの、本当にすみません。知り合いに似ていたので、つい‥‥」
「‥‥‥オレ、そんなにジェームズに似てるか?」
あれ、と言われた言葉に疑問を覚える。しかしそんな僕の反応には構わず、
彼は「髪だってアイツと違って毎日手入れしてるんだけどな」と後で一つに縛ってある髪を
なぶりながら不満そうにブツブツ呟く。
僕は再び、今度は掴みかからないように気を付けながら彼をじっと眺めた。
なるほど、確かに造形はそれほど似ていない。ジェームズに比べて彼はもっと整った
顔立ちをしている。目つきも幾分鋭いし、動作もどことなく洗練された感じを受ける。
でも僕は彼がジェームズにとてもよく似ていると思った。何というか、雰囲気が。
そしてジェームズが家族で旅行へ来ていると言っていたことを思い出す。
「もしかしてジェームズのお兄さんですか?」
「お、お兄さんっ?!」
彼は思いきり顔を歪ませた後、しばらくじっと何かに耐えるように目を閉じていた。
そんな彼の態度に僕はもしかしてまた間違えてしまったのだろうかと不安になる。
「あの‥違いますか?」
「‥‥いや、そう、アイツの‥兄です」
何故か彼は僕とは視線を合わせずに投げやりに言った。そうしてしばらく取っ付き難い
表情のまま沈黙していたが、唐突に僕の肩を叩いて「とりあえずオマエの家に行こう」と言った。
僕はどうしてそんな展開になったのか全く分からなかったが、ジェームズの時と同じように、
彼は安心出来る人物だと確信していたので言われるままにコクリと頷いた。
彼はそうして僕より先にスタスタと歩き出したが、突然ピタリと歩みを止めて僕を振り返った。
そして射るような眼差しを向けて、少し困惑したような顔になる。
僕は彼の唐突な行動にそろそろ慣れてきたので、次は何だろうとじっと待った。
すると、そういえばまだ知らないってことになってたんだとか、どうすればいいんだとか、
ブツブツ呟き始めた(どうやらそれがクセになっているみたいだ)。
そしてまた唐突にその独り言を止め、僕に向かって右手を差し出した。
「オレの名前言ってなかったな、シリウスって言うんだ」
僕は彼の名前を口の中で小さく復唱する。夜空の星と同じその名前は彼にとても
似合っているような気がして、僕はよろしくと笑顔でその手を握った。
家に帰るとすでに先客がいた。
「や、お帰り」
ソファーに寝そべるように身を沈め、まるで家人のようにくつろぎながらジェームズは
僕と隣でワナワナ震えている(たぶん怒っているのだと思う‥‥)シリウスに手を挙げた。
「ジェームズ、いらっしゃい!」
僕は荷物を放り出して彼に駆け寄る。ジェームズは勝手に上がらせてもらって悪いな、
と言いながら古くからの親友にするように僕の頭を軽く掻き回した。
「そんなコト全然気にしないで」
キミが来てくれただけですごく嬉しいんだから、と僕もニコリと笑顔を返す。
しかし、再会を喜び合う僕らとは裏腹にシリウスは渋面な表情を隠そうともせずに
つかつかとジェームズの隣に歩み寄り、ガンっと派手な音がするほど彼の頭を叩いた。
「オマエはなー‥‥」
「何するんだよ、シリウス!」
ムっとしたジェームズが振り返ってシリウスを睨みつける。
だがシリウスも平然とその視線を受け止めた。しばらくの間声をかけるのも躊躇われるほどの
沈黙が続く。二人の険悪な雰囲気を察知した僕はこっそり部屋の隅まで逃げ出す。
これは荒れるな、という予感がして部屋を出ようかと考えているうちに二人は掴みかかって
喧嘩を始めた。
彼らはここがどこだとか、今がどういう状況だとか、そういうことを考える気は全くないらしく、
まるで容赦がなかった。だから僕は部屋にあるモノが倒れたり空を飛んだりしている様を
人事のように眺めながら、今扉のところまで行くと3回は投げられた物に当たるだろうと考えて
その場に止まっていた。
傍から眺める彼らの喧嘩は、不謹慎を承知で言えばとても面白かった。
きっとお互い本気で相手をしているのだろうが、同時に手の抜き方も心得ているみたいで
上手く出来たお芝居を見ているみたいだった。喧嘩慣れしてるんだ、と思い、
そんなものに慣れるのは果たして本当に羨ましいのだろうかと考え込む。
そうやって僕はしばらくそんな二人を眺めていたのだけれど、
そのうちただ見ているのにも飽きてしまったので隙を見て扉まで走っていき、
隣のキッチンまで避難した。ようやく安全な場所まで来れたのでほっと息をつきながら、
やっぱり避け切れずに頭に向かって飛んできたぬいぐるみを側の棚に立てかけて、
お茶でも入れることにした。もちろん、隣で騒いでいる二人の分もだ。
ごそごそと袋を漁り、今日買ったばかりのマドレーヌを袋から出して皿に乗せる。
本当はこんな余分なものを買う予定ではなかったのだけれど、
店の前を通った時にとても美味しそうな香りがしたのでつい衝動的に買ってしまった。
悪癖だから自重しなくてはと反省をするが、これが持ったためしがない。
最近僕は自分が甘いものには目がないのではないかということをようやく自覚し始めた。
次に戸棚から三人分の紅茶を取り出す。あまり人の訪れることのないところだけれど、
たまにこういう風に来る人のために置いてある僕の持っているものの中ではすこし贅沢な品だった。
紅茶を入れるカップを温めながら、隣の部屋から聞こえてくる喧騒を心地よく耳に聞く。
バラバラと物が落ちる音や、机が倒れる音に後で部屋を片付けるのが大変だなとため息をついた。
でも本音は隠せない。
本当はそうやって騒々しいほど賑やかなのが嫌いではないから。時折聞こえてくる
遠慮のない罵り声に堪えきれない笑いを押し殺す。
楽しく、そして妙に懐かしい気分になりながら僕は僕と彼らの分の紅茶を注いだ。
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