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作成日 25/5/2021
若林古城址
 古記による資料も少なく詳細は不明であるが、松平信光が安城城(近世以降安祥城)を「念仏踊」で奪取した後、松平家4代親忠(安城城初代城主)の臣であった石川伝太郎が、安城古城(安城町社口堂)赴き本多政平を降伏させ政平は、1479(文明11)年その臣になったと考えられる。
 その政平の子本多四郎左衛門親平は、1499(明応8)年上野山(現在の上ノ山)に、領主として若林城を築いた。
城といっても土塁・空堀に囲まれた館と思われる。この頃各地で領土を広げる戦が広がって乱れていたという。若林もそうした村の一つであった。
 本多四郎左衛門親平が、1504(永正元)年に出家し廃城となった。写真の城址碑は宅地化も進み平成24年に取り除かれた。
若林に関する出来事 周辺地域の出来事
 (三河国碧海郡属す)
1175年  若林郷成立
(承安5) 
1296年  浄照寺を建立
(永仁4)
       
1470年頃 (天下乱れる)
 ~  
       (領主無)  
1496年 本多四郎左衛門が
(明応5) 若林をひらく
1499年  本多四郎左衛門が
(明応8) 若林城築城
1504年 若林城廃城
(文亀4)
1515年  本多氏若林山
(永正12) 円楽寺を創建

1544年 三河大洪水で
(天文13)本村荒廃
1032年以降 安城古城築城
1156年 重原荘成立
1166年 志貴荘成立(平信範)
(保元1)   (重原兵衛)
1440年頃 和田親平が安城城
    を築城したとされる
1452年  西郷稠頼岡崎城
(宝徳4) を築く
1471年  松平信光は織田
(文明3)  方の安城城を攻略
     本城とした
1524年  松平家は岡崎に
(大永4)  居城を移した
1540年  織田信秀は松平
(天文9)  家から安城城
       を奪取
1542年  家康(竹千代)
(天文11) 誕生
1549年  今川義元は松平氏
(天文18) を庇護下に治める
     と織田信広の安城
     城を攻め信広を捕
     らえ信長の元にあ
     った家康と人質交
     換が行われた
1562年  信長と家康が清
(永禄5)  洲同盟を結ぶ

  郷とは:50戸ひとまとめにした単位(1戸は大世帯で20~30人と考えられる)
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