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作成日  25/5/2021
鼎高等小学校跡・・・「若園小学校創立100周年記念誌」「高岡中学校HP」より引用

  明治時代の後半期を迎える頃には、全国の小学校教育(義務教育)は法制的には整備されたが、その上級教育制度には多くの課題を残していた。
そこで明治30年(1897)9月、竹村・若園村・堤村三村が連合して、現在の国道155号線小山交差点付近に高等小学校を創立しこれを鼎(かなえ)高等小学校と名付けた。ここでは、堤尋常小学校・若林尋常小学校・竹村尋常小学校・一本木尋常小学校の卒業生らが1〜4年間学び12年間にわたり10回の卒業生を送り出した。当時の農家としては4年間通わせるということは、容易なことではなかった。
明治39年(1906)5月高岡村制が施行され小学校義務教育も6ヵ年となって各学校とも校舎が不足することから、鼎高等小学校を堤尋常小学校(第1尋常高等小学校)と若園尋常小学校(第2尋常高等小学校)に分け鼎校の高等科との併設となった。その後、大正4年(1915)9月高岡中学校の前身である高岡高等小学校が堤字長根に単独で建設され、昭和22年(1947)廃校となり、施設をそのまま利用して高岡中学校が新設された。
なお、大正11年(1922)8月、学制発布50周年に当たり、これら生徒の生存者一同によって遺跡記念碑が建てられ、それには「身を立て人を立て國をたてる」と刻まれている。鼎高等小学校跡地は現在公園にかわり住民に親しまれている。
学校の管理者は三村が交代で受け持ち、初代は堤の村上忠浄氏が就任した。

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