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作成日 25/5/2021

  1.三河鉄道の経緯(「ふる里若林第79&80号」「広報とよたNO.1004号」より)
  明治44年に大阪の資本家、才賀藤吉らが「碧海軽便鉄道」として、知立ー大浜港(現・碧南市)間で発足したことから始まり、明治45年に「三河鉄道」と社名を変更された後、経営が思わしくないため知立以北への路線延長が計画され、大正元年には「知挙軽便鉄道」と合併し難航したすえ地元の熱意もあり大正7年に工事に着手した。
  この頃の高岡村は半分近くが山林原野であり、交通の便としては何もなく徒歩がすべてであり自転車も数える程しかなかった。はじめ鉄道に反対の人々も工事が進むにつれ開通を待つようになり、最初は知立ー土橋間で開通後順次拡張し猿投まで延長した。
  開通当初の汽車(※陸蒸気)は、若林、八ツ橋の上り勾配に差しかかる途中で止まってしまうこともあり、汽車は一旦坂を逆戻りして勢いをつけたりそれでも登れない時は駅に1輌残して身軽くして登った。
 その後、昭和16年に現在の名古屋鉄道と合併をし「名鉄三河線」と呼ばれるようになった。乗降客数は開通当時60人/日程度であったが、今では3,000人/日となり地元の重要な足に発展した。
 その後、赤字路線の猿投~西中金間は、2004年3月31日で廃止となった。
※陸蒸気(スティブンソン製)の写真は、「三河を走って85年」「豊田加茂の歴史・下巻」を参照

2.駅舎の変遷 (1920年7月5日開業)

(昭和40年頃)「ふる里若林」第79号より
左側にボンネットバスが見える。
地主のご好意で立派になった駐輪場も近くにあり、合理化のため自動改札機が導入(01/6/30)された若林駅。

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