インドの自由思想家              

 インドに仏教でいう「六子外道」の思想が生まれた背景には、商業都市の繁栄があったといわれます。商業都市国家ギリシャに哲学が生まれたのも同じ理由でしょう。霊的な古代世界観であるバラモン教では律しきれない物質文明の発生といえるでしょう。物質生活を享楽できる富裕層の発生は、バラモン支配に対する批判を表面化します。彼らはもちろんバラモンの聖典ヴェーダを学んだでしょうが、その権威は否定します。それが仏教、六子外道などバラモンの聖典ヴェーダから自由な思想家たちです。そこに物質的快楽追求的生活に傾倒する唯物論が存在するのは必然でしょう。霊的時代には押さえ込まれていた唯物的魂が自己主張を始めたのです。

 アーリア民族のインド侵入は部族単位の波状的で緩やかなものだったようです。それ故原住民との婚姻も当然戦略的にいっても少なくなかったのではないかと想像します。下層民ほど混血の度合いは大きかったでしょう。この頃には大分混血が進んでいて、当然バラモンの聖典ヴェーダに対する尊敬も薄れたことでしょう。

 バラモンの思想に対して沙門の思想といわれた自由思想家たちはカースト制度に反対という点で共通でした。
 カースト制度というと、アーリア民族が原住民を差別するために作ったかのような印象を受けますが、定住化で社会が拡大するにつれて世襲化も進んだ結果だと思われます。世襲化の中で祭祀職と軍事職の間に権力争いが当然起こるはずです。ただ古代社会での生活は呪術に依存するところが大きかったので祭祀職が上に立ったと思われます。また祭祀に対する聖典も増殖していて、専門に学ばない限り行うのが難しくなっていたということもあるようで、ますます専門化が進みバラモン(ヴェーダに通じた人という意味)階級の支配が確立したのでしょう。そのバラモンたちが自分たちの特権を守るために輪廻思想を利用してカースト化を進めたと思われます。
農業文明であり続け、商業都市の発達が遅れた中国や日本にはインドのような唯物論は発生しませんでした。もちろん都市文明化が進んだ現代では唯物論は繁盛しています。

 六子外道の思想は反精神論的です。特にアーシーヴィカ教に属するものたちの「善悪否定論」「宿命論」などはおもしろい。この派の根本的世界観は「七要素説(霊物二元論)」なのでしょう。
「盗みをしようが人を殺そうがそれを悪ということもできないし、悪の報いもない」などというところなどは、霊魂と解脱を認めている点を除くと、きわめて唯物論的といえるでしょう。「業」を認めず「宿命」という原理で世界を展開させる点は、彼らの職業が占星術師や占い師だったということからうなずけます。
 「不可知論」が登場しているのも社会体制の崩壊を伺わせます。不可知論者や唯物論者はバラモンやクシャトリアなど支配階級ではなく商工業を営む下級民ヴァイシャ出身者なのではないかと想像できます。非バラモン的な呪術行為をするアーシーヴィカ教は原住民族スードラに近いものたちのものではないかとという印象を受けます。
 歴史に残されていないかもしれませんが、六子外道以外にも、後にサーンキャ哲学として結実するような、インダス文明の思想を受け継ぐ原住民系の自由人、仙人みたいな思想者もいたのではないかと思われてなりません。