2007年7月〜
07.07.31
ウナギの
証言
 
   大新聞社が発行している週刊誌の広告が、その新聞に載っていた。
 
 
   「中国の毒は日本発  元商社マン、ウナギ、養蜂業者らが証言」」の見出しを読むと、
   ”え?、ウナギが証言する?"と思うではないか。

  記事は読んでいないが、多分「元商社マン、養鰻・養蜂業者らが証言」が正しいのだろう。
 
  言葉を売っている新聞社が見出しとは言え、イイカゲンではいけないと思う。
     
07.07.26
車検のミス
 
  車検専門店で軽四の車検を受けた。
  この店では三回目であり、今までは何の問題もなかった。
  しかし、今回はこういうトラブルがあった。
  振り上げた拳を中途半端におろすことになった。
 
   点検したメカニックが「タイヤが磨耗している。このままでは車検が受からない」と
  いうので新品と交換してもらうことにした。相談し、国産の中の上クラスのものにした。
 
   車検が完了した車を家で確認すると、タイヤが違う。
  請求書の明細には「185R12 8PR」となっているが、現物は「6PR(プライ)」が付けてある。
  この車は「8PR」が標準装備になっており、「6PR」は「8PR」より加重に対する強度が弱い。
  ちょっと見ただけでは気が付かない。
 
   悪意なのか単なるミスなのか。
  もし悪意(安いタイヤを付けて高いほうの金額をせしめる)なら、徹底的に
  糾弾する気になった。
   しかし、「違うではないか」と言って「あ、間違えました」との返答であれば
  それ以上の追求はできない。そうならないように少し考え店に出向いた。
 
   心穏やかに切り出した。
  「6PRの値段はいくら?」
  「何でですか」
  「いいから、この値段を教えて」
  「調べます。・・・・○○○○円です」
   この値段は請求書と合っている。とすると、必ずしも悪意ではないかもしれない。
  しかし、請求書に記載してあるタイヤのタイプ名と金額が合っていないことになる。
 
   「実は、請求書の明細には8PRとなっているが、現物は6PRが付けてある。なぜか」
  少し待たされた。
  「確かに。でも、メカニックはお客様と相談しそのようにしたつもり、と言っています」
  「そんな加重強度までの相談はしていない。ではなぜ請求書は8PRとなっているのか」
  「そうですね。でも8PRは一本2千円アップになります」
  「冗談ではない。とにかく請求書に書いてあるタイヤに付け替えるように要求する」
  「そうですね、今日は店長が不在なので明日連絡させます」
 
    翌朝、店長が自宅まできた。タイヤを確認し「すぐ8PRに交換させていただきます。
   私どものミスですから差額はいただきません」
 
   悪意なら糾弾するつもりだったが、そうでもないようだ。
  しかし、そうですか、で終わらせるには気持ちが落ちない。
  で、「今回のミスが起きた原因とそれを見逃した理由をよく調べ、再発防止するように」
  と説教を垂れて一件落着とした。
     
 
   この業界は、以前から仕事の内容がウサンクサイとの評判があり、近年になって
  改善されつつあるとのことであるが、油断はならない。
   今回はタイヤの技術的な知識をもっている(実は見つけたのは長男なのだが)ことが、
  整備のミスを見つけることになり、図らずも
正規のタイヤを安く手にしたことになった。
  発見者に差額の何割かをやらねばなるまい。

 
07.07.23
大局観
 
  現在の日本の文化や政治などが、褒められた状況にないことについて、
  歴史を顧みると「そういう時代にある」らしい。
   最近読んだ本で、なるほど、そうかもしれない、と思った。
  
   「どこで日本人の歴史観は歪んだのか」(岡崎久彦 海竜社刊)の最後の
  部分を要約すると、
 
    戦後60年経っても国会や、新聞で論議されているのは、憲法九条といい、
   靖国といい戦争の後遺症がほとんどです。まだこんな状況なのは不甲斐ないと
   感じますが、歴史の例をみるとどうもそういうもののようです。
    文化の最盛期というのは古今東西の歴史で、戦乱の百年後に訪れています。
   漢の武帝、唐の玄宗の時代、日本の元禄等、皆そうです。
 
    日本国民が直接戦乱の惨禍にさらされたのは、第二次大戦の前は
   戦国時代しかありません。
   それが終わる関が原の戦い(1600年)の五十年後といえば、由井正雪の乱
   (1651)です。この事件の関係者はまだ戦争の長い影をひきずっていた世代です。
   百花繚乱の元禄(1688-1704)の文化をになう井原西鶴、関孝和、松尾芭蕉、
   近松門左衛門、新井白石、尾形光琳らは戦乱の影響のかけらもない1640年
   からの十年間に生まれた彼らです。
   
    前述の歴史からみて、やっと今社会に出始めた1990年前後にうまれた
   世代に期待したいと思います。
憲法や靖国にいつまでもかかずらわっている
    かぎり、新しい文化の創造のエネルギーはまだ湧き出してくる時期ではないので
    しょう。(後略)
    
  というのだ。
   「戦乱後の百年」説が正しいかどうかは、後数十年待たなければならないが、
  わが国の将来に希望的な期待を持ちたいと思う。
   同時に、このように歴史を長期的にみて「大局観」を持つ人はエライと思う。
 
07.07.18
チャイナ
フリー
  先日のニュースから。
 
   中国産食品や製品に対する不信感が世界的に増大するなか、自然食品や
  栄養補助食品(サプリメント)、ペット用食品などを扱っている米食品会社、
  フード・フォー・ヘルス・インターナショナル(本社・ユタ州オレム)はこのほど、
  商品に中国産の原材料が入っていないことを示す「チャイナフリー」のシールを
  導入すると発表した。 製品にチャイナフリーのシールを付けることで、安全性を
  印象付けるのが狙いだ。
 
 
   中国製の食品に嫌悪感を抱いている消費者には好評だと思う。
  どういうシールか見たい、と思いネットを探すと、あった。
     
 
   わが国では、ワカメなど原材料での販売品には生産国名を明記することに
  なっているが、その原材料を含む加工品(弁当など)には明記しなくてもよいことに
  なっているから、多分知らないうちに食べている。
 
   「中国製の食材は使っていません」と表記するのは、いろいろな問題(政治的に
  とか)が起きるだろうから、「国産品のみを使用しています」と表記したものが
  増えてくれれば安心なのだが。
   そうすると、表記してない加工品は中国産品を使用している可能性は高いことに
  なるので、買うか買わないかの判断がしやすくなる。

 
07.07.08
「のほう」
 
  わが国で有数のインターネット関係のある会社へ電話し、
 「○○さんをお願いします」と言った。
 「○○のほうですか、少しおまちください。・・・○○のほうは現在休憩を
 いただいております」
 
  この「のほう」はいらない。この言葉使いは、語尾上げ言葉と同じように、
 まことに気に入らない。
 今回、自分の耳に直接言われて、「何だ、こいつは」と怒りを覚えた。
 
   このような言葉を気にしている人は多くいるようで、集めて解説したサイトもある。
  そのうちの一部の内容をを紹介すると、
 
    「お弁当のほう、温めますか」
    「お箸のほう、お付けしますか」
    「いらっしゃいませ。お席のほうご案内いたします」
    「髪のカットのほうはいかが致しましょう」
    「お荷物のほう、お預かりいたします」
 
    全部「のほう」が無くても全く同じ意味で通ずる。
    NHKのアナウンサーまでもが「時刻のほうは7時15分になります」と
    言っているのを聞き、私は椅子から転げ落ちました。   (後略)
 
    
    ヘンな日本語に、いちいち目くじらを立てないようにしているつもりだが、
   せめて有数の大会社やNHKでは使わないようにしてほしいと思う。 

 
07.07.03
裁判所は
偉いか(2)
 
   昨日、「裁判所は偉いか」(下欄)に、
 

    裁判所が、看板を「裁判所」とする理由をご存知の方、教えていただけませんか
  
   と書いた。その直後、念のためにgoogleで「裁判所の看板」で検索してみた。
   
   やはり、疑問を持つ人はいるもので、yahoo japanの「知恵袋」に、
    
     裁判所の看板はなぜ「裁判所」としか書いてないのですか?
      例えば「東京地方裁判所」と書かない理由は何ですか?

    
    との質問があった。回答のひとつに、
 
     複数の裁判所(地裁と簡裁、家裁)が同じ所に有るから、「裁判所」であることが
     目立つように、だったと思います。
     その代わり、玄関の付近にはキチンとかかれてますよ。
 
    
 とある。
    
 その理由は考えないでもなかったが、だとしても「裁判所は偉い」の姿勢が
    見えるではないか。

   
小学校と中学校を併設している場合、その理由で「学校」と書くことはない。
   
   公に知らしめる場合は、「主権在民」の立場に立ってほしいものだ。
 
07.07.02
裁判所は
偉いか
 
 
   ン?、「裁判所」だって?、どこの、どういう裁判所?。
  なんで「○○(地名)地方裁判所」とか書かないのでしょうか。
  誰でもそう思うはずです。
  主権在民なのに、「裁判所」だなんて、なんでそんなに偉そうなんでしょうか。
  看板に、「学校」、「会社」、「事務所」、「役所」、「警察」・・・とは書かないでしょう?。
  
   検察庁、社会保険庁、防衛省・・・はいいですよ、ひとつしかありませんから。
  
   外国ではちゃんと地名も書いてあります。                                     
   何で裁判所だけ、こういう書き方で標示するのか、理由はあるはずと思って
  少し調べましたがわかりません。
  ご存知の方、教えていただけませんか。
  
  (この文章がエラソウ、と思われないように、デスマスで書きました)
 
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