2007年8月〜
07.08.30
台湾有事
 
   8月28日付の朝日新聞に、
   「中国、台湾沖に艦隊  有事に備え訓練か」
   というニュースが載っていた。
 
    この、中国と台湾の緊張関係のニュースをみて、先年、台湾を旅行したときの
   できごとを思い出した。
 
    蒋介石の記念館を見学したとき、ふと興味が湧いて現地ガイド(60歳代の女性)に
   「台湾の兵隊さんは何人いる?」と聞いた。
   急に真顔になったガイドは「ちょっと待って」といって近くにいた男のガイドと相談しだした。
   帰ってきて「答えられない。何でそんなことを聞くのか」。
 
    各国の軍事力などはインターネットで簡単に調べられる(中国230万人、北朝鮮
   110万人、韓国69万人、台湾29万人、日本15万・・・)のだが、敵対国や第三者に
   自軍の兵力を知られないようにする、という台湾国民が日常的に持っている危機意識の
   一端を思い知らされた。
   と同時に、外国旅行で触れてはならない事柄への心構えが足りなかった、と反省した。
 
   中国、台湾の旅行で、触れてはならないが知っておくこととして次のような
  ことがあると思う。
 
  1.中国の当面の直接的な狙いは(軍事力での)台湾併合にある。
   そして、中国が日本に対して軍事的手段を行使する第一のケースは、
   台湾有事のときである。
   現在急速に整えつつある中距離弾道ミサイル、およびそれに搭載する核弾頭に
   モノを言わせ「日本が台湾問題に介入すれば、東京、あるいは大阪を核攻撃する」と
   恫喝するであろう。
 
  2.中国の軍事力行使の可能性は、台湾有事にとどまらず、尖閣諸島に続いて
   沖縄をも手中にしようとしているところにもある。
   尖閣諸島については、中国は92年2月の領海法によって明白に中国領だと
   定義し、今日に至っている。
   沖縄については、「琉球王国が日本領土になったのは、日本の侵略の
   結果であり、第二次世界大戦後の米国からの返還も国際法上の根拠を欠く」
   「沖縄の主権の帰属は未確定」(だから中国にも権利がある)としている。
   (以上は桜井よしこ「決して台湾有事にとどまらない中国における軍事力行使の
   可能性」『週刊ダイヤモンド』2007年7月14日号から抜粋)
 
   これらのことを「妄想だ」と一蹴するのは簡単だが、可能性は皆無ではない、
  のが悩ましい。
   ただ、妄想でない場合でも、中国は来年のオリンピックと2010年の万博が終わ
  らないと事が起こせないので、当面は前述の「訓練」程度に終始するはず。
 
   そこで、「こうした状況下で、今のうちに日本が中国に負けないだけの軍事力を
  備えなければならない。それは第一に日米同盟の強化、集団的自衛権の行使に
  加えて、日本の軍事力整備に格段の力を入れることだ」(同桜井よしこ)という主張が
  あることも知っておくことのひとつだ。
  
   この主張に賛成する、反対するのどちらにしても、あるいは旅行先で「スパイ容疑で
  拘束」されないためにも、台湾問題の背景を知っておく必要があると思う。
 
 
07.08.23
桃太郎
 
   作家の井上ひさしは、若者言葉などの日本語の乱れは「心配無用」という。
 
     「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんおりました。
    おじいさん山へ芝刈りに、おばあさん川へ洗濯に行きました」
     これを、
    「昔々、あるところにおじいさんとおばあさんおりました。
     おじいさん山へ芝刈りに、おばあさん川へ洗濯に行きました」
     と言うようになれば危ないが、まずならない。
 
     また、・「美しい花」というふうに、形容する言葉は形容される言葉の上につける
         ・「花ください」というふうに、助詞は下につける
    などは、だれに教わったのでもなく、日本人のどこかへいつの間にか刷り込まれた
    文法であり、そこが崩れたら日本語は変わったといえる。
    刷り込まれた文法は容易なことでは崩れないので大丈夫だ。
     (井上ひさし他 「日本語よどこへ行く」 岩波書店 から要約)
 
   これで、「ヘンな日本語に、いちいち目くじらを立てないようにしている」ことの
   はっきりした理由が自分の中で確立できた。
   だから今後は、些細な「乱れ」にも泰然としておれるはずだが。
 
07.08.14
アッタラ
イイナ
 
   前に「自身の汚れ」で、洗濯機にカビが付かないようにまたは自動で取れる機構に
  ならないものか、と書いた。
   やはりそう考える人はいるもので、その後東芝からカビ防止の洗濯機が発売された
   (6月)。
 
    「洗濯後、衣類を取り出して蓋を閉めると、自動的に洗濯槽内に約70度の温風を
     吹き込みながら槽を回転。約15分間でまんべんなく乾燥させる。
     これにより、カビの繁殖を抑制し、洗濯槽内を清潔に保つ仕組み。」
 
   とのこと。
   洗濯機のカビは洗濯物が汚れるだけでなく、アレルギー性皮膚炎の原因になるとかで、
   気にしている人たちには朗報だと思う。
 
   ところで、日常生活の中でアッタライイナと思っているもの。
  1)車を運転していて、信号のない交差点で一旦停止時や、コンビニから出て直進、右折、
    左折しようとするときに、右方向、左方向から車が来ないことを知らせてくれる装置。
    (もちろん、直進、右左折をする、しないの判断は自身がする)
  2)先頭車として信号待ちのとき、信号が青になったことを知らせてくれる装置。
    これは自分用もだが、青になっても止まっている人用として。
 
  そのうちできるかもしれない。
07.08.03
母への
お詫び
 
   先日読んだアメリカの小説「争奪」(ローレンス・シェイムズ 北沢あかね訳 講談社文庫)に
  主人公の青年が、
 
    「(苦労させている)彼女の引き締まった小さな、決然とした背中を見守っていると、
    奇妙なことが起こった。本気で彼女を愛しているとはっきり自覚したのだ。
    そんな感情を抱く心の準備などできていなかった。だがそもそも感情が沸き起こるときに
    前もって心の準備などできるわけはない。それは足元から始まって、突然こみあげてくる
    痛いほど純粋でこらえようもない悲嘆さながらに上に向かってふくれあがっていった。」
 
    というくだりがあった。
    
    最近、それによく似た現象を経験した。
   夜中に、切ない男心の演歌を聞きながら車を走らせていて突然発生した。
   「母には申し訳なかった」という気持ちが噴出したのだ。
 
   次男坊ゆえに「育った家を出る」覚悟は小さい頃からあった。
  高校卒業後の進路として兄(長男)の後を追って自衛隊を選んだ。
  入隊する日の朝、国鉄(JR)の駅まで見送りに来た母は私に分らないように泣いていた。
  私としては「家を出る」にしても、気持ちのつながりが切れこれっきりになるのでは
  ないのだから、と「子どもが家を出る」ことの母の思いを慮ることはしなかった。
   数年後、末弟も家を出た。
 
   苦労して育てた子どもが全部家を出てしまい、母は寂しかったのだろう。
  後年、家に戻った兄の子を母は自分の子のように溺愛した。
 
   その母が亡くなって、暫くして兄の子が不慮の死を遂げた。
  すでに定住していた異郷の地でその知らせを聞き「あ、母が呼んだのだ」と
  直感した。あの世で、この世の続きとして可愛がろうとしたに違いない。
  
   車を走らせていて突然こみ上げてきた気持ちは、
  「あぁ、母に感謝の気持ちを表したことはなかったなぁ、可哀相なことをしてしまった」
  である。
  目が潤んだ。
  

  意識していなくても心に残っていることが、小説を読んだり歌を聞くことが弾みとなって
  噴き出すことはあるものだ。
  私の場合、それはやはり母への思いであった。
 
   故郷の墓参りに行って、今さらだがそのことを詫びようと思った。

 
  トップページへ
気まぐれダイアリー

トップページへ

前のページへ