土地騒動の顛末

 

 永年の夢だった「木工工房の自力建築」のための土地を、ある山里
に求めたのは2009年4月のことでした。
 

 以下はその土地をめぐってトラブルが発生し、結局は手離すことにな
った顛末です。

土地騒動の顛末 1  

 求めた土地の所有権移転登記とともに、新工房を建築するための資
材や道具を仮置きする物置がいるので、4月から敷地の隅に小さな小
屋を作り始めました。
(「新工房建築の記録1」に経過状況を掲載しています(コチラ))。

 ところが、その年の8月初めになって隣の市の弁護士事務所から自宅
に書留がきました。

 内容は、

「あなたが小屋を作成中の土地は○○氏(注;売主ではない)のもの
であるので、小屋の建築を続行されても撤去していただくことになり
ます。事実関係を確かめていただくことをお勧めします」

という、私には衝撃的なものでした。

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(左の続き)

 

 なに?、そんなバカな。正式な売買契約を経て入手したのにそんなこ
とがあるものか。すぐに売主に問いただすと・・・。

 

土地騒動の顛末 2

 

  翌日、売主の事務所へ出向き「どういうことか」と質しました。
売主は88歳で、歳にしてはシッカリしたおじいさんです。

売主は、 

 「寝耳に水の話だ。あの土地は、平成8年に私に所有権を移転して
あるものをあなたに売ったのである。早速、その弁護士に確認する。
あなたは大船に乗った気持ちでいてくれればよい。建築工事も続行し
て何ら問題はない」

とのことでした。
 
 それでも私は話が不調に終わった場合に備え、念書を貰うことにし
ました。念書には私の意向をすべて網羅するために、私が原案を作り
売主が押印することとしました(念書の原案はコチラ)。
 この念書が後で効力を発揮することになりました。

 

 実は、この土地を仲介した不動産業者と取り交わした「重要事項説
明書」の登記簿謄本の中に、

「平成8年2月28日和解により所有権移転」

という記載がありました。
 このことについて業者から説明はなかったのですが、私は「和解?、
裁判沙汰があったのかな?。でも和解したのなら問題ないか」と敢え
て確認はしませんでした。
 しかし、今回のトラブルの発端はこの和解条項によるものでした。

 

土地騒動の顛末 3

 

 売主に、その裁判の内容を確認したところ、下記のようにややこし
いものでした。

周辺の土地図はコチラ(上が北)。
 

裁判の内容と結果

 私が今回入手した土地とその東側の道路は、裁判前は、弁護士を通
して文句を言ってきた○○氏の父親(B氏とします)のものであり、
さらにその東側の造成分譲地は今回の売主(A氏とします)のものと
していたところ、道路と造成地の境界を巡ってケンカになり、ついに
はA氏がB氏を裁判に訴えた。
 これが平成5年で、28回の協議を重ね平成8年2月28年に和解に至っ
た。
和解の内容は次のとおり(裁判所が作成した口頭弁論調書の和解条項
から主な部分のみを抜粋し簡単に記載)。

  .別紙図面(上図参照)の道路東側の線を境界線とする。
  道路から西側はB氏の所有であり、別紙物件目録に記載の土地
  (今回私が入手した土地の地番を含む)は、図面境界線の東側
  にあり、その西側にはない。

 
 では、このように和解条項に「道路の西側には今回私が入手した土地
の地番はない」と明記してあるのに、なぜA氏は西側にあるその地番の
土地を和解後に自分へ所有権移転登記し、その13年後に私に売ること
ができたのか。

この経緯のややこしさはまだまだ先があります。

 

土地騒動の顛末 4

 

  なけなしの金をはたいて購入した土地で、このようなトラブルが起きると
は夢想だにしていなかったので「面倒なことに巻き込まれてしまった」と心が
萎えそうになりました。

  A氏は私を安心させるために、大丈夫だという理由として次のよ
うなことを説明しました。
 わたしは念のためにこの会話をA氏の了解を得て録音しました

 

1. 商取引において、10年経てばその取引が不正であっても時効が
 成立する。この土地の登記は13年前に済んでいるので今さらとや
 かく言われても覆ることはない。

2. 裁判時点での当事者の行為(Bの土地のAへの移転登記)に問
 題があっても、善意の第三者(そのことを知らない私)は被害を
 被らない。

 

 A氏はこのような理屈で相手の弁護士と話し合うので、間違いなく
なたに迷惑をかけることはない、あなたは交渉の場に出る必要はない
と約束してくれました。

 私は、そうであるならば、弁護士は私へのこの言いがかりを取り消
して謝罪するようにしてほしい、と要望しました。

 

一回目の話し合いの結果は、うまくいきそうだったのですが・・・。

 

 

土地騒動の顛末 5

 

 A氏と先方の弁護士との1回目の話し合いが8月8日にあり、その結
果の連絡がありました。
 なお、A氏は自分の弁護士を雇うまでもないとして自らが先方の弁
護士事務所へ乗り込み協議したそうです。

 結果は、弁護士もA氏の考えに同意し、「所有権が(私に)移って
いるので、このままとするが問題を提起した横浜市に在住の○○氏
(=B氏の長女=この土地の相続人)の了承を得るので、結論は10日
まで待ってほしい。十中八・九はOKとなるはず」とのことでした。

 私は「そうなって当然だ」と思って、安心して結果の連絡を待つこ
とにしました。しかし、このB氏の長女がしたたかで、この話は一筋
縄でいかなくなったのです。

 

この話、ちょっとくどいですが、ややこしい事実をそのままに、も
う少しつづけます。

 

土地騒動の顛末 6

 

 ところで、前の裁判の和解条項に「道路の西側には、今回私が入
手した土地の地番はない」と明記してあるのに、なぜA氏は西側に
あるその地番の土地を自分へ所有権移転登記することができたのか、
聞いてみました。

 A氏によると、
裁判後に高齢のB氏の体調が崩れ、代わりにB氏の長男(=この時点
での推定相続人)の立ち会いで私の求めた土地の場所と範囲を決め、
登記したのですが、その際、双方とも「西側にはない」の条項を失念
していたそうなのです。
 A氏は前の裁判で、3年もかかって念願の境界線を決めることができ、
ホッとして「西側にない」条項を忘れていた、と。
「そんなバカな」ことが実際にあったというのです。

 (この説明に私は半信半疑ながら、一応納得しましたが、どうも後
から考えるとウソくさい話です)

 そして、A氏は裁判所が作成した和解の口頭弁論調書も法務局へ提
出し、正式に登記をしてもらったそうです。
 法務局は、裁判の和解当事者であれば誰からでも和解を理由とする
登記申請を受けてくれるとのことです(A氏の話)。

ところが、その後B氏が死亡すると・・・。

 

 

土地騒動の顛末 7

 

 しかし、その後B氏が死亡し、この土地を含む道路西側全体の土地
の相続に当たり、長男は「こんな田舎の土地はいらない」と権利を長
女の○○氏に譲ったのです。
 このため、私の買った土地の場所・範囲は、「推定相続人=正規相
続人でなくなった人」の立会いにより決定
してある、という変則状態
になったのです。

 

 このためA氏は、正規相続人となったB氏の長女に、この土地の場
所・範囲を確認してほしいとなんども要請したのですが、遠方(関東
に在住)を理由に応ぜず、ズルズルと延びていましたが、A氏はまだ
市役所の地籍課の図面は暫定扱いのまま売り出しにかかり、私と売買
契約したのです。

 どうりで、私がこの土地を検討した時点で貰った図面には、「登記
前参考図 この資料は今後変更になる場合があります」と赤字のゴム
印が押してあったのです。

 A氏からはその説明はなく、私はそんないわくつきとは露知らず、そ
の土地を買ってしまったのです。
 聞いてみると、A氏は正式に決まることに自信があったので説明し
なかった、このような状態での売買は違法ではない、とのことでした。

 

 さて、1回目の話し合いの結果を、弁護士がB氏の長女に話したと
ころ、長女は「弁護士と会って直接話し合いたい。22日に訪問する」
と、素直にOKしなかったそうです。今になって、和解条項の「西側
にはない」を盾にとったのです。

 その後の24日のA氏と弁護士の2回目の話し合いで、弁護士は1回
目とは見解を逆転させました。

 

 

土地騒動の顛末 8

 

 A氏と弁護士の2回目の話し合いでは、弁護士は「とにかく前の裁判
の和解条項に、(私に移転登記した土地は)道路の西側にはない、と
明記してあり、弁護士として(私の)所有権を認めるという、裁判所の
決定と異なる判断をするわけにはいかない」の一点張りだったそうで
す。

 A氏が今までの経過や所有権移転登記して13年も経っている、先回
はそれを認めたではないか、と主張しても今回は「法に従う弁護士とし
ては判決に従わざるを得ない」の姿勢を崩さず、話し合いは堂々巡り
で埒があかなかったと言います。

 「10年経過すればその商取引が不正であっても時効が成立する」に
ついては、裁判後の土地の場所・範囲の決定はその時点での推定相
続人との立会いであり、正規相続人の立会いではない
ので、時効に
はならない、と突いてきたそうです。

 

 A氏も「西側にはない」の和解条項を忘れていたという落ち度があ
るうえ時効ではないことになり、また、88歳という高齢から気力が
伴わなくなり、ついには先方の主張に折れてしまったのだそうです。
そうすると私の所有権はどうなるのか・・・。

 

土地騒動の顛末 9

 

 不動産の取引において、「買主は、その物件に隠れた瑕疵(かし=
キズ、欠点)があるときには、売主との売買契約を解除することができ
る」となっており、私が買った土地は明らかに瑕疵ある物件に相当しま
す。

 私はA氏からこの争いに負けた場合は、念書のとおり売買契約を解除
して代金を返却してもらい、また、迷惑料を要求するつもりでいました。
 A氏は私が言うまでもなく、自らの非を認め、「迷惑料を含む替地
を貰ってほしい」と、道路東側の造成分譲地約200坪を提示しました。

 私は求める土地の条件として「隣地に家がない、今後も建たない」と
していたので、替地はこれに外れるため悩みました。

 考えたすえ、「替地は造成後、何年も売れていないので今後もすぐに
は売れないだろう、かつ、前の土地の約3倍の金額価値がある」と判
断し、提案に応じることにしました。

 しかし、A氏は「ただし、あなたが今までに使った建物工事の費用
負担は替地に含むとしてほしい」と言うのです。

 この言い分はもっともなところがあり、A氏は争いに負けたことに
より土地の価値にして2〜3百万円の損失を被ることになるからです。

 私は念書の一項に「(争いが不調に終わった場合)この土地に貴殿
が投じた建築物に関わる全部の費用を負担します」を明記していたの
で、日頃の私らしくもなく「替地をすることとは別にこの条項は独立
している。現金でいただきたい」と筋を通して頑張り、結果として、
約半額の材料代5万円を替地とともに貰うことで決着しました。
事前に作成した念書がここで効果を発揮しました。
 
 替地の所有権移転登記が終わったのは、騒動が始まってから2ヶ月
経った9月末のことでした。

 

 土地の購入に伴う「善良な第三者」が巻き込まれた騒動のいきさつ
は以上ですが こぼれ話があります。

 

 

土地騒動の顛末 10   

 

 替地として貰った場所は、道路を挟んだ東側で、裁判までして揉め
た境界地のすぐ隣です。
 私はA氏に、

「ここは今後揉めることはないでしょうね」

と念押しをしたところ、A氏は

「今回のことで少なく見積もっても200万円は損をした(土地の坪
単価の評価により変わる)。二度とこんなことにはなりたくない。
絶対大丈夫だ」
「今まで不動産売買で10件近くの揉め事があったが、結果的に負け
たのは今回が初めて。今回も裁判をやっておれば絶対に勝っていた。
10年若ければもういちど裁判にかけるのだが、残念ながらこの歳では
何年もかかる裁判をやる気力が伴わない」

と嘆いたので、私は信用することにしました。

 10年若くても78歳!、その気力は見上げたものです。
「裁判に勝つ極意は?」と聞くと、「自分の信ずるところを、誠心
誠意で話すこと」だそうです。

 

 また、この「土地騒動の顛末」の中で、B氏の長女が今になって
「道路の西側にはない」を主張しだした動機が分かりません。
 不思議に思ってA氏に聞いてみても、A氏はなんとなく知っている
ようですが、はっきりとは言ってくれませんでした。
 私もこの複雑な経緯に気力が続かず、追求する気が切れてそれ以上
追求できませんでした。

 

 今回のことで、私の反省は、

1.不動産業者と取り交わした「重要事項説明書」の登記簿謄本の中に、
 「和解により所有権移転」という記載について深く質すべきであった
2.この土地を検討した時点で貰った図面に、「登記前参考図 この資
 料は今後変更になる場合があります」と赤字のゴム印が押してあった

ことについて確認するべきであった、の二つです。
 「不動産の取引は慎重のうえにも慎重を期すこと」の重要性が身に
沁みました。

 

 「自力で新工房の建築」の夢が最初からケチがつきましたが、気を
持ち直して替地に物置き小屋を建て始めました。
 その記録が「新工房建築の記録 2〜」(コチラ)です。

 

以上でこの物語を終わります。


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